この男を信用したわけではない。ましてや、付いて行こうと決めたわけでも
ない。だが、細身のわりに男は怪力ならしく、腕を掴まれたまま歩き出されて
しまっては瞬一には追従するしか術がなかった。自分の腕を引き戻そうと躍起
になってみるものの、効果はなく、明らかに力負けしている。
背モ違ウシ。
兄くらいはあるのではないか? そう、こっそり男の背を測ってみる。体力的
な不利は否めない。しかし、このまま連れて行かれるわけにもいかなかった。
知ラナイ人ダシ。
___第一、オレ、めちゃくちゃ急いでいるんだから。
「ちょっと待って。オレ、今、、、」
男は立ち止まり、振り向く。斜め上から降り注がれる黒い視線にたじろいだ。
それは彼のごく普通の容姿には見合わない視線だった。
人ジャナイ。
迂闊にそう思い付き、だが、それならば、彼は一体、何者なのだろうと新たな
疑問に囚われる。
誰ダ? 
コノ人、何ナンダ? 
「おまえ、天使を捜しているんだろ?」
唐突な単語の登場に面喰らう。
天使ナンテ、日常、使ウ言葉ジャナイヨナ? 
冗談デ使ウ言葉ナンカジャナイヨナ? 
「捜しているんだろう? だったら、オレに付いて来い。こんな所じゃ、渡せ
ない。人目に付かない保証はないし、誰にも見られていないとは言い切れない
からな」
「渡すって? あの、もしかして? え、でも、どうして、オレが捜している
って?」
「匂うんだよ」
男は瞬一の腕を放し、歩き始める。今度はそれにしっかりと付いて歩きながら
瞬一は聞き直した。
「匂うって?」
「おまえには天使の匂いが染み付いている」
「天使の、匂い?」
「そう」
男は簡単に頷いた。
「それも南ッ側と、果樹園の、な。えらく懐かしい匂いがする」
懐カシイ? 
ソレジャ? 
理由はわからないものの、西ッ側の天使は皆、同じ姿をしていた。
スゥゴイハンサムヤッタ。
「じゃ、南ッ側の?」
男は苦いものを顔に浮かべたようだ。
「違う。第一、オレが南ッ側の天使なら、おまえと一緒にいた南ッ側の、その
天使達が捜しに来ただろう。それを人間のおまえが血相を変えて、すっ飛んで
来たということはつまり、その天使達がオレを避けたってことだ」
「避けた?」
そう言えば。コウは自分は行けないと言った。普通なら。何を置いてもまず、
自分が駆け出しそうなものなのに。
___あんなにタカシ、タカシって、庭に出るのも嫌うくらい大事にしている
んだ。変だよな、確かに。
「でも、どうして?」
「顔も見たくないからさ」
「何で?」
「忌まわしい、から。オレは不浄の存在なんだ」
細めた目が醸し出す凄みに瞬一は息を呑んだ。出来ることなら、一目散に逃げ
出したい。そんな衝動に駆られる。だが、“彼”を取り返さないことには逃亡
など、許されない。自分は託されて、ここに来ている。その自覚が確かに胸に
あるのだ。
オレダッテ、ソンナノ、嫌ダ。
タカシノイナイ世界ニハ戻レナイ。
戻リタクナンカナイカラ。
意を決し、男を見上げる。この男は瞬一が思う以上に、“わかっている”。
「タカシは? タカシはどこにいるんですか?」
「タカシ?」
男は考えるような表情を見せた後、頷いた。
「ああ、仮の名か。人間は天使の名を発音出来ないもんな。こっちじゃ、必要
なんだったな、そんな名が」
男は思い出したようにそう言い、そして一層、やるせなげな表情を浮かべた。
「そういや、オレはもう、呼んでやれないんだったな、このヒトの本当の名前
を。綺麗な、良い名前なのに」
コノ人ハ?
閃く。
南ッ側の天使を、果樹園の天使を見知っていて、その匂いに懐かしさを覚える
ヒト。南ッ側の次期親玉候補であるコウが顔を合わせたくないと思う、ヒト。
タカシの本当の名前を知っていて、もう呼んでやれないと悲しむ、ヒト。
ソレッテ? 
もしかしたら。
タカシが会いたがっていた人物とは決して、魔物一人きりではない。
モウ一人! 
男は自分のジャケットの胸元をそっと押さえる。そのしぐさを見、思い出した
ことがある。弱った天使は一時、身体を縮小し、小さな身体で過ごしていた。
「タカシ! そこにおるんか?」
「大丈夫だ。疲れて、のびているだけだ。それより、おまえ達、一緒に住んで
いるのか?」
「はい」
「何で、そんなことになっているのか、意味がわからないが、あれこれ聞いて
いる場合じゃないな。その家、近くか? タカシは自分のベッドを持って来て
いるんだよな?」
「ベッド? あのお姫様みたいな?」
「ああ、それ。それがある所に行こう。近くなのか?」
「歩いては行けないです。今日は花火を見に、知り合いの家にお邪魔していた
んで」
「ふぅん。向こうにオレの車がある。道案内してくれないか。早く回復させて
やりたいからな」
「はい」
悪いヒトではない。小さなタカシを隠し持った手の、気の遣いようを見れば、
そうわかる。落とさないよう、苦しませないように気遣いしているとわかる、
大きな手。きっとタカシはこの男の存在に気付き、彼に会える千載一遇の機会
を得て、つい、飛び立ってしまったのだ。後先すら、考えずに。
___慎重な、どちらかって言うと臆病なヒトなのに。
得難い好機の接近に勇んでしまったのだろう。
ダッタラ。
彼の思いを無駄にしてはいけない。ちゃんと対面させてやりたい。そう思う。
ギターケースを肩に掛け、スタスタと歩いて行く男の後を足先に力を込めて、
追い掛ける。
「なぁ」
「はい?」
「タカシはいつ、こっちに、人間界に来たんだ?」
「春先、まだ寒い時期に」
「はぁー。それで、ね」

 

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