「いってらっしゃい」
「頑張れよ、特Aコース。よっ、スーパーエリート! 未来の星!」
「ちゃかすなや。それじゃ、行って来ます」
「気を付けて」
いつものように玄関先でタカシに、今朝はレンにも見送られ、やや遅い時間と
なったものの、家を出る。そのまま、門扉の前に横付けされた佐原の車に乗り
込み、すぐに瞬一は首を傾げた。
アレ? 
昨夜、見た様子とは一変している。あの、これから夜逃げでもするのかと思う
ような、大量の家財道具は一体、どこに消えたのだろう? 
何モナイヤン? 
鍋釜一式、布団や傘や何かで埋もれ、後部座席は子猫一匹座れない状態だった
のに、今朝はえらくすっきりとしている。愛用のギターケースが一つ、ポツン
と置かれているのみだ。
「あの」
「まずは道案内。ナビしてくれよ。オレ、有名進学塾なんて、場所、知らねぇ
もん。出掛けに、レンに名前は聞いたけど」
ふと思い出したように佐原はニカリ、と笑う。
「何?」
「よっ、特Aコース!」
「聞こえてたん?」
「もっ、ちろんv」
胸を張って答える様子は明るくて、へこんだ様子は見受けられなかった。では
先刻、タカシが凄んで見せたのがお芝居なら、佐原が慌てた様子で逃げ出して
行ったのもやはり、お芝居で、あうんの呼吸と言うものだったのだろうか。
___そうだな。考えようによっては一番、困っていたのはレン君だったのか
も知れないし。
「な、特Aコースって、医学部狙いってこと?」
「まぁ、そう、かな」
「へぇ。医者になるんだ? どの方向で?」
「外科か、内科かって意味?」
「そうそう。当然、どっちって方向は決めているんだろ?」
「う、うぅん」
「何だよ、歯切れ悪いな。迷ってんのかよ?」
「うぅん」
何となく、とは答えづらく口ごもる。
「何?」
催促されて、渋々、口を開く。
「しゃかりきやっていたら、何か、その」
佐原は僅かばかり、顔をしかめたようだ。
「先生に“九十点以上の君はこのコース”って、とっとと決められて、今日に
至ったってわけ?」
察しの良い大人に頷いて返した。
「うん」
「アホか」
「だって」
「塾のベルトコンベアーに乗ってて、どうする? おまえの未来なんだぞ? 
どっちに行くって自分で決められる恵まれた環境にいるんだろ? だったら、
自分で決めて、周囲の協力を仰いで、だな、一族総出で頑張るのが昨今の受験
ってもんだろうが。何せ、今時、ただじゃ、あの世くらいしか、行けねぇから
な。で、親は何て言ってんの?」
「好きにしていいって」
「はっ、金持ちは悠長だな。毎日、ギリギリライフを送っている苦学生はいつ
だって、どこにだって、いっぱいいるっていうのに」
「ごめん」
「オレに謝ることじゃないけどな。な」
「ん?」
「まさかと思うけど」
「何?」
「医学部なんか合格しちゃった暁には、馬鹿呼ばわりされた幼稚園時代のあの
屈辱を晴らせる、ほれ、見たか!と胸を張れる、なーんていうのが特Aコース
にいる最大の理由だなんて、そぉんな馬鹿なことは言わないよな?」
「ない、とは言えない、かも」
ダッテ。
「やっぱり、鬱憤は晴らしたいって言うか」
あちゃー。佐原は大袈裟にポーズを作って、仰け反った。
「だって、だって、悔しかったんだよ? それを一発で晴らせるんだよ。それ
も、すっごくわかりやすく。一目でオレは馬鹿じゃないってわかるんだよ?」
「そりゃ、そうだろうけど。じゃ、さ」
ハンドルを切り、佐原はふいにヘラッ、と笑って見せた。
「何?」
「せっかくだからさ、おまえ、産婦人科の先生になれば? 見放題、触り放題
で、ありがたがられて、金になるぞ?」
「―」
「何だよ、突っ込む所だぞ? そんな真顔で硬直するなよ。オレ、すっげぇ、
イヤらしいおっさんみたいじゃねぇかよ? 落とし込みだぜ」
「そんなん、タカシの前では言わん方がええと思うよ?」
「言ったって、意味がわかんねぇだろ」
ソレモソウカ。
「それに。たぶん、タカシが理解するより先に、レンちゃんがマジ切れして、
鎌でも持って追い掛けて来そうじゃん? それどころじゃなくなるよ。それに
したって、あの子、可愛い顔してちょっとばかり、ヒステリーだよな。いつも
あんな?」
「いつもは。もうちょっと、大人、かな」
「微妙だな、その言い方は」
佐原はくすり、と笑う。
「何?」
「案外、オレと“遭遇”してパニック状態だったのかもな。向こうも、こっち
も本題を避けつつ、間を持たそうと必死だったわけだから」
「本題?」
「そう」
佐原は簡単に頷いた。
「聞きたいけど、聞けない。知っているけど、答えられない。そーゆーこと。
あるだろ? 例えば。タカシは何で、右膝を傷めているのか、とか」
狭い車中に助け舟を出してくれる大人はいない。瞬一は小さく息を呑んだ。
「天使がケガをして、その痕を治せないなんて、通常、起こり得ないことだ。
唯一の例外を除いては、な」
「あの、、、」
「おまえは知っているんだよな。どうして、果樹園の天使であるタカシが兵隊
に取り押さえられて、右膝をダメにすることになったのか」
「でも、でも。オレが答えられることじゃないし。それにタカシは直接、自分
に聞いて欲しいって」
「オレが直に聞いても、いいのか?」
「え?」
すっと細められた目の奥。そこにこもって、じっと自分を見据える瞳の黒さに
思わず、背筋を凍らせる。
「オレは知りたいことを知るためなら、何でもするぞ。それでもいいのか?」
「何でも、って?」
堕天使の凄味にさらされ、正直、震えが来そうだった。
「人間が夢見るほど、天界って所は甘くはないんだよ。あそこはな、お伽の国
なんかじゃないんだ。そんな所で“親玉”って、特別な地位にまで登り詰める
には並大抵の努力や、苦労なんぞじゃ、何の意味も成さない。平たく言えば、
おまえの家に来ている天使、二人はおまえと大して変わらない。特Aコースに
いるってだけの、未だ何も知らないひよっ子だ。オレとは違う」
佐原は暗い声を保ったまま、前方に視線を戻した。
「四つのエリア、それぞれに一人の親玉がいる。オレは南ッ側だったが、別に
“旗振り応援団”みたいな真似しか出来ないわけじゃなかった。親玉って言う
のはな、いつ、万が一のことがあっても穴埋めが出来るように皆、他の三つの
エリアの仕事もこなせるんだよ」
ソレッテ。
「悪魔とも、戦えるってこと?」
「そう」

 

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