ヘトヘトヤ。
参考書や何かがずっしりと詰まった学校指定のリュックを背負い、未だ岐路に
立ったばかりの人生も背負い、紙袋まで提げて、重みと疲れとに足を取られ、
時折、よろめき、ブロック塀に手を付きながら、それでも必死に家路を急ぐ。
アア。
コレジャ、疲レタオッサン以下ヤデ。
恰好悪イ。
塾は定刻に終わり、一刻も早くタカシの元へ帰ろうと、バス停に駆け付けた。
そこまでは良かった。いつも通り、順調だった。しかし、運が良いのか、悪い
のか、そこには最近、とんと会うこともなかったスカッシュのコーチが立って
いた。
『こんな偶然って、あるんだね。僕、そこの歯医者に通い始めたんだよ、昨日
から。日曜日も開いているから助かるよ。一気に治さないと足が鈍るからね。
歯医者さんは苦手でね』
相変わらず、ニコニコと爽やかな人だ。さすがに祖母が見込み、母親が瞬一を
“押し付けた”善人なだけのことはある。積極果敢に自分からクラスメイトの
輪に入って行けない瞬一に、スポーツを通して、一生物の友達作りをさせよう
と企んだ祖母と母、二人の気持ちはわからなくもない。自分でも、少しばかり
要領が悪いと感じてもいた。
ダケド。
___この人もそろそろ、見捨ててくれてもいい頃だと思うんだけどな。
祖母達の思惑は今となってはもう、不要なものに変わってもいる。何せ、毎日
毎日、二人の天使にもまれ、しごかれて、かなり、タフになったと思うのだ。
___自分で言うのも難だけど、少々のことじゃ、動じなくなったよね。柄が
悪くなった、とも言うらしいけど。
あたかも八百屋さんが店の裏側で、洗濯機に里芋を入れて回すような、手荒い
もまれようなのだ。今更、クラスメイトに煩わされるなど、有り得ない。
ソレナノニ。
『ちょっとだけ。ちょっとだけでいいから、顔を出してよ。皆、会いたがって
いるんだよ。ねっ』
そんなコーチの誘いの言葉にキッパリ、ノーと返せないところがやはり、未だ
甘いままなのかも知れない。
___レン君なら、絶対、ダメなものはダメって、その場で言うよな。コウ君
なら、端から誘わせないかも知れない。目に迫力あるもんな。はぁ。
「何がちょっと、だよ。めちゃくちゃ、しごきやがって。もうヨロヨロやん?
外かて、真っ暗やん?」
久しぶりのきつい疲労感に腹の内に不満を留めておけず、独り言を言いながら
歩く。はぁ。
___ため息ばっかりや。老けてまうで、オレ。
何より、悔やむことがある。
___佐原さんの連絡先、聞いておけばよかった。タカシには教えてあるんか
な? あれっきりになったら、かわいそうやもんな。
カコン、コンッ。
暗がりから響く不気味な物音に一瞬、怯み、ややあって、思い付く。その先に
確か、空き地状態の小さな公園があり、よく近隣の住人が集っていたはずだ。
___ゲートボールか。真っ暗なのによく見えるよな。年寄りって、まさか、
夜行性ってことはないよな。
疲れのあまりか、馬鹿なことを考える。
ソレニシタッテ。
___昔の人は丈夫って、本当だな。オレらの世代は絶対、八十、九十なんて
生きられないよ。スカッシュでヨロヨロなんだもん。自爆か、こりゃ。
感嘆しつつ、先を急ぐ。とにもかくにも、タカシに会いたい。今すぐ会って、
一息吐きたい。その一念で歩き去った後ろ、例の公園でどっ、と賑やかな笑い
声が上がった。元気いっぱいのようだ。
ウチノ学校ヨリ、ヨッポド青春シテンナ。
「ヘイ! ヘイ! 爺さん、爺さん、どこ見て、打ってんだよ? 婆ちゃんの
足、ひっぱんなよ」
「暗いんだよ! 見えないんだよ」
「鶏かよ」
更なる笑い声が上がる。
ン? 
はたと足が止まる。聞き覚えのある、若い声。ゲートボール仲間達とは一人、
一線を画す、世代差がある声だった。
マサカ。
慌てて、疲れも忘れ、駆け付ける。そして。
ハァ?
「よっ、瞬一」
靴先でボールを押さえ込み、片手を挙げて、佐原はすこぶる機嫌が良かった。
「あら、よっちゃんのお友達?」
「ひでぇな、婆ちゃん。この子、そこの岡本さんの末っ子じゃねぇか? 長い
こと、ここに住んでるぜ」
「あらぁ」
「まぁ」
「そう言えば」
「あら、本当」
「どうせ、色男の兄貴の方しか覚えてねーんだろ? ドスケベが」
「おほほほ」
一斉に口元を押さえ、笑い出す様子を見ると図星なのだろう。
「―」
「ほれ、瞬一。早く帰らないと。レンちゃんが角出して、待ってるぞ」
「レンちゃんて、あの可愛い人よね」
「婆ちゃん、チェック済みかよ。やらしいな。おい、爺さん達、ここはビシッ
と決めとかないと嫁さん、獲られっちまうぞ?」
「やる、やる」
「どうぞ、持って行ってくれって、言っといて」
「ったく。素直じゃねぇな」
「あはは」
「あの、佐原さん?」
「何よ? オレ、今、忙しいんだよ。話なら、帰ってレンちゃんとしといて。
おーし、次で決めるぞ!」
「行っとけ、行っとけ」
本気デヤットル。
すごすごと公園を出て、再び、帰路に付く。そう言えば、佐原はレンが待って
いると言っていた。
___角出して、、、? 
その様子を思い浮かべ、慌てて、駆け出し、我が家へ走り込む。
「遅い!」
「ごめん」
「大体、何で、おまえは電話一本、掛けて来ないんだよ? オレ、ずーーっと
待っていたんだよ? バイトにも行けないじゃん、馬鹿。こんの、でこっぱち
が!」
玄関先に仁王立ちし、どうやら瞬一の帰りを待ちわびていたらしく、お出掛け
用のバッグを肩から提げたレンは不機嫌この上なかった。地顔の可愛らしさが
目に付かないような、気迫溢れる怒りようだ。
「ごめん。でも、オレ、ちゃんとメールしたよ。あれ、タカシは? タカシは
どうしたの? また、どこか、悪いの?」
レンはさも嫌そうなため息を吐く。
「馬鹿瞬一。おまえ、タカシにだけ、メールしたんだな。それも昼以降に」
「え?」
「今日、朝飯、超不味かったじゃん?」
「ああ、奇妙奇天烈やったな」
「不味いけど、食べ物は捨てちゃいけないから、二人して頑張って、食べて。
ほんで、そのせいなのか、オレ達、ちょっと具合が悪くなっちゃってさ。それ
でも、どうにか掃除して、洗濯してって、今日の分の用事はこなしたんだけど
。タカシがもう、真っ青になっちゃってて。部屋に戻って、休むように言った
んだ、昼前に。それっきり、オレ、一人ぼっちで留守番してたんだよ。買い物
にも行けないから、昼飯なんか、冷蔵庫に残ってた素うどんでさ。気分、尚更
ブルーだよ。馬鹿佐原君が使い切っちゃったから、卵もないの。信じらんない
よね」
具合が悪くてはどうせ、どんな御馳走も食べられないのではないか? そうも
思ったが、余計な突っ込みは口にしない。命が惜しかった。
「じゃ、オレ、行くから」
「うん。あ、コウ君は?」
「電話はあったよ。おじさん達が帰国するから、成田にお迎えに行って、それ
から帰るって。夜中になるんじゃない? 何か、出前でも取ってさ、ちゃんと
食べておくように」
「あ」
瞬一の声に、レンは歩き始めたばかりの足を止め、振り向いた。
「今度は何?」
「佐原さんは」
「放っとけ。お邪魔虫だもん。呼ばなくたって、勝手に寄って来るよ」
「オレ、すぐそこで見たんだけど」
「そりゃ見るだろ」
レンは驚く様子も見せず、そう答える。
「何で?」
「ここんち、2−20だろ」
「うん」
「あのヒトんち、3−20だよ」
「はぁあ? それって?」
「そう。駐車させてって頼みに行ったら、そこの奥さんに『空き部屋がある』
って言われて、結局、そのまま、入居することになったって言ってた。本当、
図々しいよね。あんな大人にだけはなりたくないもんだ。じゃ」
___言ってた、ってことは来たのか。奥さんって、、、。あのゲートボール
仲間にいたのかな。

 

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