翌朝。タカシと二人きりで食卓を囲む。近所のパン屋で買い込むお気に入り
のベーグルにたっぷりのクリームチーズとブルーベリージャムを塗り、ぱくり
と頬張る。
美味シイ。
続けざまにタカシ特製、野菜たっぷりのカラフルなスープを口へ運べば、じん
わりと優しい温もりと旨味が口いっぱいに広がった。
ヤッパリ、美味シイ。
タカシノ味ヤ。
超幸セ。
その上、今日は昼過ぎには帰宅出来るのだ。嬉しくて、少しばかり気が大きく
なって来た。
「なぁ、タカシ」
「はい」
「葉野菜がもう、あんまりないんやろ?」
「ええ。根菜類とか、保存の出来る物はたっぷりあるんですけれど。葉野菜は
レンがその都度、新鮮な物を買いたいって」
今だけは神経質で、几帳面なしっかり者、レンに感謝したい心境だ。
「そやったらな、今日、一緒に買い出しに行かへん? オレ、今日は早う帰れ
んねん。それでな、お昼はちょっとだけ時間が下がるんやけど、一緒に御飯、
食べに行かれへんかな?」
「御飯?」
「そう。お好み焼き。タカシ、知っとる?」
「テレビで見たことはあります。平べったいんでしょ?」
「そうそう。美味しいねんて。クラスメイトが言うとった」
「お友達情報なんですね?」
少しばかり正直に目を輝かせたタカシの言いたいことが何となく解ったような
気がする。どうやら自分にかまけて、クラスメイトと一切、交流をしていない
とバレバレの瞬一のあり様を心配していたようだ。
「大丈夫。この頃は前より、ずーっと会話があんねん。レン君達に鍛えられて
しもうてな。自習時間につい、うっかり、うっさい、このボケ!くらいの勢い
で独り言言うたら、ドン引きされたんやけど。何か、クラスの雰囲気言うか、
オレのイメージが変わってしもうたみたいでな。何となく最近、やけに居心地
ええねん。ギャップが魅力とか言われても意味、わからへんけどな」
「それだったら」
「ええの?」
「ええ。せっかくお友達が勧めてくれたのですから、是非」
「やったぁー!」
タカシトデートヤ。
タカシと一緒に出掛け、食事をし、買い物をする。例え、それがお好み焼きと
スーパーでの野菜の買い出しであっても、デートには違いないはずだ。
「オレ、急いで帰るから。何か、適当にお菓子摘んだりとかして、待っとって
や。何も食べんとお腹、空くからな」
「大丈夫ですよ。慌てずにちゃんと左右を確認して、道路は渡って下さいね。
瞬一、飛び出しちゃいそうで心配だから」
「オレはマーブルとちゃうで?」
あの猫を思い出し、二人一緒にクスクスと笑い出す。また一つ、タカシと共有
し、時折、取り出して懐かしむことが出来る思い出を作ることが出来た。
___猫に感謝せな、あかんな。
「じゃ、行って来ます。鍵、掛けといてや」
「はい。行っていらっしゃい」
喜び勇んで、半ば、飛び跳ねながら家を出る。苦笑いはしたものの、タカシも
輝くばかりの美しい笑顔で送り出してくれた。今日は特別に良い一日になる。
さすがはクリスマス、そんなことを思いながらバス停へ急いだ。無論、こんな
ことになるなどとは考えてもいなかった、その時は。

 バスを降り、いつもの道を数メートル歩く。ブロック塀を這う電球がどこと
なく蟻の行列のようで、いささか間抜けな様相を呈している十二月二十五日、
昼下がり。しかし、この住宅地の雰囲気は決して、穏やかなものとは言い難い
のではないか? 
何カ、、、。
あまりにざわついている。通勤、通学の時間帯でもないのに、通りを歩く人が
いる。それ自体が最近、見慣れない状況だ。その上、通りに出て立ち話をする
大人が何組もいるなどとは不可解この上なかった。夏の夕暮れ時、水を撒きに
出た大人がついでに束の間、隣人と立ち話をする習慣は見知っている。だが、
この寒い時期になぜ、好き好んで道路に立ち続ける主婦がいるだろう? 
母サンナラ、絶対、セェヘン、ソンナコト。
「ビックリしたわね」
「本当。パトカーなんて、この辺、来ないもんね」
「あら、最近、警邏はしていたみたいよ」
「そうなの?」
「そうよ。ほら、隣町、空き巣が続いたから」
どうでもいい立ち話か。通り過ぎながら一応、耳は澄まして聞いておく。治安
の問題は我が家にも無関係ではない。
___タカシがいるから、用心しとかないとな。
「ああ言うの、居直り強盗って言うんでしょ? 凄い血だったらしいわね」
「だって、救急車が来るくらいだもの。一大事よ」
「結局、誰がケガをしたの? あの家、最近、若い子がいっぱい、たむろして
いるんでしょ?」
若い子がいっぱい。たむろしている。気にかかるフレーズを聞きとがめ、瞬一
は思わず、歩を緩める。
「あら、奥さん、知らないの?」
「だって、わたし、日中、家にいないし。主人と二人きりでしょ? せいぜい
お宅か、両隣くらいしか、顔もわからないわ」
「ああ、そうか。まだ半年も住んでいないものね。それじゃ、仕方ないわね」
亀ではないのだ。とてもこれ以上、ゆっくりとは歩けない。ギリギリののろい
歩みで、立ち話を続ける主婦二人の会話に神経を集中させる。
早ク肝腎ナトコロヲ言ッテクレ。
「うちのおばあちゃん情報だとね、皆、従兄らしいのよ。あの家、御両親が海
外に住まわれていて、末っ子の男の子の一人暮らしが長いんだけど、さすがに
受験生を一人じゃ、置いておけないって、従兄の大学生が二人、呼ばれて来て
いるらしいの。もう一人、二人いるらしいんだけど___」
続きは聞くまでもない。
家ヤ! 
弾かれたように走り出す。
タカシ! 
タカシ! 
タカシ! 
家には今、タカシ一人しかいない。
オレガアホヤッタ。
パトカー、救急車、凄い血。生きた心地もしなくなるおぞましい単語が瞬一の
頭の中で好き勝手に跳ね踊る。到底、冷静でなどいられなかった。
「岡本君! お宅にね」
誰か、知っている声に呼ばれたような気がする。だが、今、足を止めることは
出来ない。とにかく今すぐタカシの無事を確認したい。この目でタカシの元気
な姿を見て、安心したい。そうしなければならない。必死に走る。過度の緊張
とスピードに耐えかねた心臓が今にも、口から飛び出して来そうだが、一時も
休むことは出来なかった。
タカシ!
タカシ!
タカシ!
「タカシ!」
ようやく飛び込んだ我が家。
 しかし、瞬一はそこから先、踏み込むことが出来なかった。鼻を突く、血の
匂い。ギョッとして見渡す、見慣れた玄関。捜すまでもない。何事かがあった
その痕跡はあちこちに見受けられた。玄関のテラコッタの床を濡らす血はもう
ほとんど乾いていたものの、それが夥しい量であったことは想像に難くない。
争った跡なのだろうか。靴箱の上に飾られていた小さなツリーは足元に落ち、
彩りとなっていたはずのオーナメントが四方八方に飛び散らかっていた。床の
上で小さく煌くパーツは一体、何を見ていたのだろう? ふと我に帰り、声を
上げる。
「タカシ! タカシ、どこや?」
靴を脱ぐのももどかしく、よろめきながら奥へと進む。必死に名を呼びながら
一階を見回ったが、どこにも白い姿が見つからない。ならば。
ソウダ。
慌てて、二階へ駆け上がる。危機に瀕して、タカシは佐原の忠告に従い、自分
のあのベッドから天界へ、いや、せめて、人間界から脱したのではないだろう
か? それがタカシとの永久の別れとなっては悲しいし、あまりにも辛いが、
タカシの身に万が一のことがあることを思えば、きっと自分は耐え忍ぶことが
出来る。そう出来るはずだと繰り返し、呪文のように自分に言い聞かせながら
淡い期待を込め、駆け込んだその部屋はしかし、静かで、そして先日までとは
趣が異なっていた。
 ベッドと鏡の据え付けられたチェストが一つ。チェストの上にはきっちりと
分類された綴りが並べられている。翻訳のための一式と、各地の古い伝承話を
調べ、まとめたそれ。その辺りは何ら、変わらない。だが、例の大きなベッド
に肝腎の天蓋がなかった。調度品は変わらないが、床は畳敷きとなり、雰囲気
もごく普通の和室に戻っているのだ。
___何で? あの天蓋がタカシが脱出するんに必要な仕掛けやったんやない
の? 
これは一体、何を意味しているのか? 事態が飲み込めず、立ち尽くす。
マサカ。
まさか、ケガを負い、運び出されたのはタカシだったのだろうか? 
イヤ、ソンナハズハナイ。
万が一のことがあれば、家族として、自分に連絡が入るはずだ。
落チ着ケ。
落チ着ケ、オレ。
タカシに何かがあれば、自分に知らせが入る。救急隊員や警察が来たのなら。
当然、近隣住人に連絡先を聞くだろうし、誰かが校名を教えてくれれば、学校
へ知らせてくれる。そうすれば、やがては瞬一の携帯電話が鳴るはずなのだ。
デモ。
自宅に空き巣が入った。警察や救急車まで出動する騒ぎになった。そんな連絡
を受けた覚えはない。両親にだけ、知らせたのだとしても、二人は瞬一の安否
を確認すべく、電話の一本も入れて来るはずだ。
ジャ、何デ? 
タカシは一体、どこにいるのか? 
アッ、ソウヤ。
もしかしたら。
身体を小さくして、どこかに潜り込み、隠れているのかも知れない。ケガでも
して、瞬一の帰宅にも声を上げられずにいるのかも知れない。そう思い立ち、
慌てて、縺れそうな脚を懸命に動かし、今度は階段を駆け下りる。
「タカシ!」
とにかく手当たり次第、物陰を一つずつ、確認しようと、まず、床下を覗き、
次いで靴箱を動かすべく踏ん張った、その時だった。
「おまえ、何、やってんの?」
断じて、知らない声ではない。
イヤ。
むしろ、良く覚えている声だ。
デモ。
彼がここにいるはずはない。帰国は知らされていなかった。
「相変わらず、行動がユニークな、面白い生き物だな、瞬一」
恐る恐る振り返る。階上に立っていたのは紛れもなく、兄だった。バスローブ
姿で、濡れた髪を拭きながらトン、トンとリズム良く下りて来る兄。
「タカシって、誰だ?」
単刀直入な質問に即答が出来なかった。
「あの。と、友達」
「ふぅーん。おまえの友達って、床下に隠れんの?」
「あ、いや。ね、猫なんだ。白い、可愛い奴で」
「猫?」
兄は首を傾げるような仕草を見せた。
「あれは猫と言うよりは、鳩の類なんじゃねーの?」
「!」
鳩と言う表現に息を呑む。もう、タカシを見、知っているのではないか、そう
疑いつつ、迂闊に問うことも出来ない。天使を見たのか、などと早計に尋ねる
わけにもいかないのだ。
ドウスル? 
自問する間に兄はミネラルウォーターのボトルを手に下りて来て、血塗られた
タイルを見下ろした。

 

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