天使は小さく頷いて、今度は瞬一が密かに不安を覚えるほど、しっかりと
見つめ返してくれた。
「ね、本当に教えてくれるの? いいの?」
ダッテ、秘密ハ漏ラセナインジャ? 
「そんなことをして、本当にいいの? 大丈夫? とがめられたりしない? 
タカシ、捕まったりとかしないの?」
「コウとレンがいれば、大丈夫。構いませんよ」
「あ、そっか」
二人にはタカシにはない特殊な能力がある。
「後で、二人にオレの記憶を消してもらえば、それでいいわけか」
「ええ。それに」
「それに?」
タカシは一旦、伏せた目を改めて、瞬一へと向け直した。きらりと光るその
目が眩しかった。
「本当は僕が話したいだけなのかも知れません。だって、今日まで、誰にも、
一度も、何一つ言えませんでした。彼と一緒にいた頃には知られてはいけない
秘密でしたし、捕まった後には、彼のヒトとなりを説明してわかって頂く場は
与えられなかった。僕はケガをして、眠って。目覚めた時には、もう遅くて。
彼の処刑は終わっていたんです。それに天界では誰一人、魔物の話など聞いて
くれません。話題にすることすら、罪ですからね。だから、せめて。瞬一には
知って欲しい。彼を理解して欲しいんです」 
潤んだ瞳は美しい。
ダケド。
___ずっと、この調子で、“壷”の中でも、泣いていたのかな? 
オレガ、隆ヲ忘レタコトガナイヨウニ。
コノヒトモ、、、。
「出会ったのは、ずっと昔」
タカシはそう切り出した。

「本当に随分、昔のことになってしまいました。僕はまだ子供で、コウやレン
が僕の家に“見物”に通って来てくれていた年頃より、もう少し幼かったかも
知れません。ある日、僕は大人達の噂話を立ち聞いて、魔界にも一種類だけ、
咲く花があると知りました。驚きでした。だって、それまで魔界には花なんて
咲かないと聞いていましたから」
天使は懐かしむように目を細めた。
「小さくて、天界にはない青の、綺麗な花だと聞きました。その花の真ん中に
黄色い、凄く可愛い実が付くのだと」
「ふぅん。ちょっと想像出来ないな」
「ええ。でも、色や実に惹かれたんじゃありません」
「え?」
天使は悪戯っぽく微笑んだ。
「見当、つきますか?」
「いや、ギブアップかな。うん、可愛い花なんだろうなとは思うけど。一つ、
いい? 天界と魔界って近いの?」
「ええ」
「でも、御近所ったって、天使は魔界には近寄らないものなんだろ?」
「ええ。行きません」
「決まりがあるんだ?」
「ええ。でも、決まりがなくても、恐らく誰も行きません。だって、食べられ
ちゃうかも知れないから」
「へ?」
「“下の方”の魔物は何でも食べますからね」
タカシは目を細めた。
「だから、天使は肉食はしないんです。食べたら、“一緒”になってしまう
から」
「なるほどね。じゃあ、それでも行きたいって思うほど、そそる魅力があった
んだね?」
「ええ、ありました」
「どんな?」
「その黄色い実が“歌を歌う”と聞いたんです」
「歌うの? 花が? あ、実か。え、でも、やっぱり」
「不思議でしょ? 面白そうでしょ? 見てみたくなるでしょ?」
「そうだ、ね。歌を歌うリンゴとか、そういう感じなんだもんな。どんなの
だろうって、思うよね」
「ええ。だから、僕、どうしても見たくなったんです。魔界でたった一種類
だけ咲く、歌を歌うって、その花を」

「ねぇ、瞬一。天界は瞬一が思うところの、初夏のような世界なんですよ。
ずっと、ずっと毎日、一日中、暖かくて、どのエリアに行っても、いっぱいに
花が咲き乱れていて、嵐は来ない。それなのに、その天界と対になった世界、
魔界は寒くて、ずっと、ずっと毎日、一日中、冷たい風が吹いているんだそう
です。もちろん、天使の僕は二つの世界の境目までが精一杯で、魔界に行った
ことはありませんが」
 タカシはすっと視線をどこか遠くへ、遠く、とても瞬一には見えない遠くに
まで送り、小さくため息を吐くように呟いた。
「あれは、ずっと昔、のことなんですよね」

「天界に生まれたから、天界に咲く花なら全て、見て知っていました。どれも
美しくて、大好きだった。だけど、話に聞いたその魔界の花をどうしても見た
くて。子供じみた欲求で今、思えば、我慢が足りなかったのかも知れません。
でも、どうしても見たくて、我慢出来ませんでした」
「仕方ないよ。子供には目先の楽しみ、見て見ぬふりなんて出来っこないから
ね」
自戒を込めて、瞬一は慰める。
オレダッテ、、、。
モシ、アノ時、新幹線ナンカニ気ヲ取ラレナカッタラ。
隆ヲ慮ッテアゲラレテイタラ。
アンナ危ナッカシイ所ニ、隆一人、残シテ行カナカッタノニ。
ソウスレバ、、、。
「天界と魔界はそう、砂時計のような形で接しています。接した部分は少し
だけ。でも、それでも、確かに接し合った“対の世界”です。なのに、二つの
世界は環境も、ルールも全てが異なる、相容れない世界で、行き来など全く
ありません。当然、子供だった僕に魔界に行くこと、魔界に入ることは不可能
でした。せいぜい、その手前、天界から見れば天界の外れ、魔界から見れば
魔界の外れに当たる、“砂時計”のくびれた辺りまでしか行けませんでした。
 そこは魔界ではないから望みは薄いけれど、でも、そこまで行けば、もし
かしたら見ることが出来るかも知れない。そう考えて、ある日、僕は大人達が
仕事をしている間、普段なら本を読んで待っている時間に、思い切って抜け
出したんです。その“境目”に行くために。
 子供の頃から飛ぶのは上手な方ではなかったけれど、案外、簡単に辿り着く
ことが出来ました。そして、着いてみると、そこは物凄く広い所で。ほら、
瞬一が僕を見つけてくれたあの川原のような所でした。背の高い、大人達でも
埋もれてしまいそうな乾いた草が生い茂って。その草が冷たい風にあおられて
大きく揺れていました。ふらついて、歩くどころか、まっすぐ前を見ることも
難しかった」

「正直、怖くなって、いっそ、このまま帰ろうかと思いながら、でも、やはり
青い花は見たくて。生まれて初めて我慢して、勇気をふり絞って、そのまま、
少しずつ進んで行きました。すると、ふいに何かに足を取られて。転んだと
思ったら、次の瞬間、引きずられて。捕らえられていました。人間界で言う、
食虫植物ですね。ものの見事にからめ取られて毒針を刺されて、身動きも出来
なくなってしまいました」
「ヤバイじゃん? だって、内緒で行ったんだから、一人きりだろ?」
「ええ。あんなのにからめ取られたら、大人になった今でも逃げられません。
弱い毒だけれど、すぐに回って声も出なくなってしまいました。でも、無茶を
したと悔やむ気持ちより、歌う花を見たかったって気持ちの方が強かった。
そんなところが僕らしいのかも知れませんが」
くすりと小さく苦笑いし、タカシは表情を引き締めた。
「さすがにもうダメだと思いました。助けを求めようにも声も出ないし、何
しろ、誰もいないんですから。そんな時に声を掛けられたんです。それが彼
でした」

「おい、って声がして、もう身体は動かし難かったけど、それでも一所懸命、
首を捻って、声の方を見ました。初めて見るヒトでした。魔物を見るのはこの
時が初めてで、随分、変わったヒトだと思ったんです。髪が黒くて、目は紫色
で。翼はなくて。肌には変わった“模様”がありました。ビックリするくらい
長い、黒い爪をしていて。どうやってペンを握るのだろう?って思っていたら
突然、その長い爪が並んだ手が僕の鼻先まで伸ばされて来て、驚いて」
タカシは笑ったようだった。
「助けて欲しいのか?と尋ねられたから、頷いたんです。そうしたら、彼が
僕を捕まえた食虫植物のような、それを、、、」
「始末してくれたの?」
「ええ。そいつは“餌”の僕には緩い毒を使っただけでした。だって、これ
から食べようかって“餌”に針を撃ち込んでは、後で自分が食べ難いだけで
しょ? でも、餌を“横取り”しようとする、自分に危害を加えようとする
彼には、そいつは手加減をしませんでした。彼の身体にいっぱい、いっぱい、
針を、、、」
泣き出しそうな天使の背中に手を添えて、瞬一は次の言葉を待ってやる。
「彼の血が雨みたいに降って。僕の翼も血まみれで。それでも、彼は僕を助け
出してくれました。ね、瞬一。彼の少し湿った、冷たい身体が本当は温かい
ものだと気づくのに時間はかかりませんでした。だって、彼はぎゅっと抱き
締めてくれましたから」
「そのヒト、優しかったんだね」
こくりと頷く天使は間違ってはいない。
「いいヒトだったんだね」
もう一つ、天使が頷いた弾みに、小さな水滴がぽとりと零れ落ちた。

 天使が愛した魔物は今、正味、この世にはいない。彼は転生し、新たな命を
得、だが、その命と引き換えに前世での記憶を、自分を慕う、愛らしい天使の
面影すら忘れたのだ。
コンナ可愛イ天使ヲ忘レルナンテ、大失態ダヨ。
両手で顔を覆い、とうとう声を上げて泣き出した天使を見つめ、瞬一はだが、
長く考えてはいられなかった。
「ね、捜そうよ」
瞬一の言葉にタカシは顔を上げた。泣き濡れた白い顔。そこに浮かんだ戸惑い
は正当なものだ。
___だって、オレ、おかしなこと、言ってる。

 

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