降格されるよりも前の、本来、果樹園の天使を飾っているはずの、髪飾り。
未だ、佐原が時折、うっとりと思い出すことがあると言うほど美しい、思い出
の中のそれはやはり、本人も気に入っていた物なのかも知れない。もう二度と
身に着けることもないだろう、それ。
___オレも見てみたかったな。きっと、すっげぇ可愛かったんだろうな。
「もっとも」
タカシは小さく呟いた。
「あれは石ではなかったのだけれど」
こんな時。
タカシの沈んだ声と伏せた眼差しにどう対応してやれば、その気持ちを慰めて
やれるのか、わからず、瞬一が迷う間に白石が口を挟んで来た。
「じゃあ、オレは先に下、行くから。箱は机の上にでも置いておいて。あとで
オレがしまうからね」
「ありがとうございます」
「瞬一君も。スイッチ、早く入れておいでよ。あれ、旧式だから時間、かかる
んだよ」
「あ、はい」
促され、白石に続く形で部屋を出る。それにしても。
___本当、この人、我が家に詳しいよな。
瞬一達が誰一人、気が付かぬ間に兄から預かった鍵を使い、自由に出入りして
いたのなら、それも不思議ではないのだろうが。
「早く下りておいでよ」
しっかり釘を刺し、白石が重い、しかし、やけに軽やかな調子で階段を下りて
行くのを見届けて、瞬一はため息を吐いた。一切、仕切られている。
___あんな血の跡、片付けてくれたんだから、仕方ないよな。お兄ちゃんの
友達だし、御近所さんだし、オレとタカシの面倒も看てくれているんだし。
ダケド。
ふと、疑問が過ぎる。“幼馴染”とは一体、誰なのだろう? 途中で転入した
瞬一には幼稚園時代、自宅を訪ね合うような友人はいなかった。ただ、ドアを
開けさせるために誰かの名前を騙っただけかとも思うが、兄が見覚えがあると
言うのなら、本当に同級生だったやも知れない。
デモ。
___何で、お兄ちゃんがオレのクラスメイトの顔、知ってんのかな? 学校
行事には来たこと、ないし、知るはずがないのに。アルバムかな。だったら、
お祖母ちゃんが見せたのかも。
祖母は兄には何かと話し掛け、構っていた。
___今、思うに。あれはお祖母ちゃんなりの気遣いだったんだな。そうだよ
な。お祖母ちゃんが話し掛けないと、お兄ちゃんが家で孤立しちゃうもんな。
父さんは気まずいから避け気味だったし、母さんは無神経なところ、あるし。
まぁ、まともに神経が通っていたら、前妻さんの実家が建てた家には入れない
よな、普通。いかん、いかん。
自分が後ろ向きになっていると気付き、慌てて、強く強く首を振る。気を取り
直し、暖房のスイッチを入れて、兄の部屋に戻ってみると、タカシはじっと、
膝上に置いた平箱の中、綺麗に並べられた半貴石の列を眺めていた。
「スイッチ、入れて来たよ。でも、やっぱり、十分くらいは待ってから行った
方がいいね。あの部屋、冷え冷えしていたからね」
「ね、瞬一。申し訳ないのだけれど」
「何?」
「今はちょっと食べられそうにないから、二人だけで食べてくれませんか? 
せっかく用意して下さったのに、いらないとは言い出せなくて」
「ええけど。まだ具合、悪いん?」
「少しボンヤリして、喉が痛い程度なんですけれど。部屋に戻って、眠れば、
明日の朝には元気になると思うんです。そう白石さんに伝えて貰えますか?」
「いいけど。じゃ、あとで何か食べられるようになったら、食べるんだよ?」
「ええ、ありがとう」
タカシは薄く微笑んで、箱の蓋を閉じた。
「これ、戻して貰えます?」
「うん。いいよ」
言われた通り、箱を戻し、ベッドに歩み寄る。タカシはベッドから降りようと
しているようだった。
「大丈夫? 無理しなくていいんだよ。お兄ちゃんもここ、使ってていいって
言っていたし」
「でも、そうそう迷惑も掛けられませんし。気が楽な方が眠れそうですから」
「それも、わかるけど」
仕方なくタカシの身体を抱き取って、和室をめざすことにする。
「ごめんなさい」
「いいよ。軽いから、どうってこと、ないもん」
嬉シイシ、ネ。
「ありがとう」
身体をベッドに横たえてやると、そう言われた。
「あの、瞬一」
「ん?」
「もし、瞬一がまだ起きている時間に。もし、お兄さんが戻られるようなこと
があったら、なんですけれど」
「うん」
「その時は声を掛けて貰えませんか? さっきはボンヤリしていて、未だお礼
も言っていないんです」
「いいよ。今夜は帰らない気らしいけど。でも、もし、帰って来たら、その時
は声、掛けるよ」
「ありがとう」
「あ、そうだ。タカシ」
「何です?」
「あの天蓋って言うのかな、あれ、どうしちゃったの? ここ、すっかり普通
の部屋に戻っているみたいだけど?」
「ああ。あれは外しました」
「外したって、えっ、何で? あれ、重要なんじゃないの? あれがないと、
いざって言う時、人間界から脱出出来ないんじゃないの?」
「ええ」
タカシは小さく頷いた。
「でも、もし、天界が混乱してしまったら。その時はあの天蓋を通じて、魔物
が進入して来ることも有り得るでしょ? 一方通行と言うわけではないのです
からね。それで西ッ側の子が一人、天界に帰る前に来てくれて、外して行って
くれたんです。人間界に力のある魔物を通すわけにはいきませんから」
「あ、そうか」
軽く納得し、タカシの肩口を覆うように布団を掛けてやった。
「おやすみなさい」
「おやすみ」
タカシがきっちりと瞼を下ろしてしまうのを見届けて、瞬一も心中、えいっと
小さく気合を入れて、和室を後にする。白石はあまり、話をしたいタイプでも
ないが、彼にしか聞けないこともあるのだ。
___ちゃんと話さなくっちゃ、な。
「あれ、一人だけなの?」
「あ、はい。すいません。タカシ、まだ食べるのは無理らしくて。白石さんに
謝っておいて欲しいって」
「仕方ないね。じゃ、半分こにしようね」
「はい」
瞬一すら、見覚えもないような蒸し器を掲げ、白石はリビングへ進んで来た。
___あんな本格的なヤツ、どこにあったっけ? 
チャッチャと手際良く淹れてくれたお茶も、湯呑み自体は見慣れない物だ。
「あの、これ、どこにあったんですか?」
「ああ、おばちゃまのだよ。おばちゃま、まー君のお母さん。すらーっと背が
高くてね、オシャレで美人で、すっごく頭が良かったの。まー君はお母さんに
似て、フィギュアみたいなんだよね。拝みたくなるの」
「はぁ」
さすがにフィギュア好きなだけのことはありそうだ。
「それでさ、君とタカシはフィギュアと言うよりは、お人形さんだよね。白く
て、目がでっかくて、頭でっかちでぇ、手足が短いの。親しみ易いとも言える
けどねぇ」
「―」
くふふと笑う白石には屈託がない。
「ま、可愛い子路線の方が日本人には受けるから、美味しいよね」
「そ、そうですよね」
気疲れする。白石が夕飯にと作ってくれたシチューを食べ、勧められるまま、
風呂にも入り、リビングへと戻る。白石は持参したDVDに夢中のようだった
が、瞬一の気配に気付き、振り返ってくれた。
「何?」
「白石さんって、今日は泊まって行かれるんですよね」
「あ、お構いなく。オレ、寝袋、持って来たから」
「えっ、寝袋? そんな。ちゃんと客間を用意しますよ」
コウとレンの二人が留守をしている今、空いた客間を片付けるのは簡単なこと
だ。
「すぐ支度出来ますから」
「ああ。ちょっとニュアンスが違うのかな。あのね、オレ、普段も寝袋、愛用
しているの。だから、ベッドじゃ寝付けないんだよね」
「えええっ?」
「そんな驚くことじゃないじゃん? 普通、ドアを開けたら、天使がバタバタ
している方がよぉっぽど、驚くと思うけどな」
アア。
それもそうだ。
「あの」
「何?」
「犯人って、何て、名前でした?」
「黒木だった。オレが白で、黒だから、良く覚えてんの。安物のカラーリング
した、貧乏そうな若造だったよ。血が凄かったんで、あんまり顔は見ていない
んだけど」
「カラーリング?」
「そう。金髪もどきだった。プリンになりそうな」
「黒木、、、」
幼稚園時代。クラスメイトの苗字を気に掛けたことは、ない。
___名前で呼び合う、不思議な学校だったからな。校長は節子先生で、担任
は真美子先生。オレは瞬君で、クラスメイトはレオ君とか。何でムカつく奴の
名前から思い出すんだ、オレは。
はたと考える。レオの戸籍上の名前は何だっただろう? 
マサカ。
「それより、タカシの具合はどう? あれからもう一回くらい、見に行ったの
?」
「えっと。さっき、お風呂に入る前に見に行った時は眠っているみたいだった
んで、そのまま下りて来たんですけど。布団から髪が出ているくらいで、良く
は見ていないんだけど」
「それじゃ、寝る前に一回、確認に行った方がいいよ。あれは痩せ我慢をする
顔だからね」
「そんなこと、顔を見ただけでわかるんですか?」
当タッテハイルケド。
「わかるよぉ。言いたいことが言えない、不平不満をこぼせない顔だね、あの
輪郭は。君もそうでしょ? だって、オレ、ブゥーブゥー不服ばっかり、言い
っ放しだから、君達とは全然、輪郭が違うじゃん?」
「はぁ」
ブゥーブゥー不服を言うからこそのブゥー、ならしい。
___豚じゃなかったんだ。お兄ちゃんが暴言、吐いていたわけじゃなかった
んだ。そうだよな。友達なんだもんな。ミスマッチだけど。
「ねぇ、君。今、明らかにへぇー、豚のことじゃなかったんだって、そんな顔
したよね?」
「え、ええっ。そ、そんなこと」
「失礼だな、君。ハゲより、ましだよ、ハゲより。痩せればいいんだもん」
「ハゲよりって、別にオレ、はげてませんけど?」
「別に君が今、現在、はげているなどとは一言も言っていないけど? 何だ、
思い当たることがあったんだ? へぇぇっ、意外だな。じゃ、将来、生え際が
心配なんだ、瞬一君は」
感ジ、悪イ。
「じゃ、オレ、タカシの様子を見て、それから寝ますから」
「はい、おやすみ」
ギリリと歯噛みして、プン、プンと鼻息も荒く、リビングを出る。
___ムカつく。レン君だって、あんな失礼なことは言わないぞ。デコ、デコ
って、うるさいけどさ。はぁ。
しかし、言われたことにも一理、ある。
___タカシはあーだこーだって、言えないタイプだもんな。ちゃんと大丈夫
って確認してから、寝る必要はあるよな。
「タカシ」
掛け布団から覗く後頭部に一応、そっと声を掛けてみる。起こしてはいけない
が、何か、用事があるやも知れない。少しばかりタカシは身動ぎしたようだ。
「大丈夫?」
ずれた布団の間から苦しい息が漏れて来た。
「タカシ?」
慌てて、掛け布団を外し、心臓を掴まれたような苦しさを覚える。
「タカシ!」

 

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