「それじゃ、椅子を。まー君、これ、使うといいよ」
白石は部屋の隅に置かれていた椅子を御丁寧にもわざわざ、タカシの枕元近く
まで運び、兄に勧めてやる。
「はい、どうぞ」
「サンキュー」
腰を下ろし、兄はふとチェストの上に並べられたタカシ専用の、二つの“山”
を見咎めたようだ。立ち上がって、兄はチェストの前に立つ。二種類の、紙で
出来た小さな山。一方は翻訳のための道具が一式。辞書やノート、メモなどの
束。そして、もう一方はあの、魔物の思い出話を検証するための古い地図と、
西ッ側や庶務の天使達がもたらしてくれた古い伝承話を書き綴ったレポート用
紙の束。きっちりとファイリングされたそれらはタカシの几帳面さを物語って
いるようだ。
「タカシって、翻訳家にでもなるつもりなのか? それも医療系の」
翻訳用のノートを手に取り、兄は瞬一に尋ねているらしい。確かにこればかり
は白石に問うても、あまり意味を成さない。そう気付き、瞬一は頷いた。
「そうみたい。お仕事したいんやて。猛勉強してな、もう仕事も始めとるんや
で」
「ふぅ、ん。賢いんだ」
兄は特段、気に留めた様子もなく、元の位置にノートを戻し置き、もう片方、
プリントアウトされた紙をまとめたファイルの下、下敷きになっていた地図の
束に手を伸ばして、それを引き出した。パラパラとめくる地図。それはどうも
現代とは年代が異なるらしい、不可思議な地図だった。
「へぇ。国境の入っていない地図なんて、珍しいな。昔懐かしい地理のテスト
でも、国境くらいは入っていたような気がするけど、どんなもんだろう?」
ぐるりと細い線が大陸を形取る、ただそれだけの地図。そこにタカシが自分で
書き入れたらしい点が無数に散っていた。その点の一つ、一つが何を意味する
ものなのか、瞬一自身、未だ尋ねたことはない。単純に魔物が昔、降り立った
地とも考えられるが、それにしては点が多いような気がする。そう度々、魔物
が幽体となって地上に降りていたとも、考えられないのだ。
ダッテ。
___人間界まで見物に来ているってことは。その間中、タカシは一人きりで
お留守番しているってことで。つまり、待ちぼうけってことだもんな。
滅多に会えなかった二人なら。
___人間界より、タカシ!だよな。タカシの方が良いに決まっているじゃん
? ま、タカシが待ち合わせの場所にまで出て来られない時にだけ、暇潰しに
降りて来ていたのかも知れないけど。
一応、それ以外の可能性も考えてみる。
___もしかして、魔物さんの方がず〜っと年上で、タカシと出会う前に体験
していたことを話した、とか? そうだ、よな。可愛いタカシが喜んで聞いて
くれるんなら、どんな古い話だって、もう一回、しちゃうよな。自慢しちゃう
よな。
目を輝かせ、話に聞き入ってくれるタカシはさぞ、可愛いらしいだろう。
イイナァ、ソレ。
瞬一の夢見心地とは全く関係なく、傍らで白石が大きな声を上げた。
「オレも。オレも。オレもちょっとだけ、それ、見たい」
白石にねだられ、兄は気前良くタカシの地図を手渡した。
「ほれ」
「ありがとう。本当だ。本当に何にも、入っていないんだ。へぇ。地図って、
国名が入っていないと今なんだか、昔なんだか、それもさっぱり、わかんない
ものなんだね。ふぅ〜ん」
何か、言いたいことでもあったのではないか? ほんの一瞬、だが、しかし、
しっかりと白石の目が光った。そんな気がしたのだ。
コノ人、侮レナイ人ヤシ。
「じゃ、オレは寝ます。瞬一君も寝ます」
「ああ、おやすみ」
「おやすみ」
「でも」
「グズグズ言わない。あんたが体調崩して、受験に敗れでもしたら、まー君の
せいにされちゃうでしょ? ほら」
やはり、白石の思考の基軸は兄にのみ、置かれているらしい。丸々とした手に
二の腕を掴まれ、問答無用の強引さで部屋から引き出された。

「じゃ、ね」
白石はリビングに置いた自分の寝袋の元へ戻るつもりならしい。
「あ、あの」
「何?」
階段近くで呼び止めた。
「さっきの地図」
「地図?」
「あの、何か」
どう切り出せばいいのだろう? 瞬一が惑う間に白石の方が察したようだ。
「ああ。昔、まー君ね、さすらっていたじゃん? 覚えている?」
「さすらっていた?」
「あんたが東京に来る前から、そうだったんだけど。まー君って、春休み、夏
休み、冬休み、全然、この家にいなかったじゃん?」
「そう言えば」
親戚の家に行っている。そんなふうに聞いていた。
___今、思えば。
家ニ居辛カッタンカナ。
オレ達ガ我ガ物顔デオッタカラ。
「あのね、たぶん、一々、あんたが気を回して暗くなること、ないんだと思う
よ。まー君的にはあんた、半分は弟なんだし。第一、この家はおばちゃまの物
で、当然、まー君の物なんだから、家にいたいと思えばいれば良かったし、嫌
なら即効、出て、おばちゃまの実家にでも引っ越しすれば良かったんだと思う
し。大体、邪魔なら、養子婿の方を追い出せば良かったわけじゃん?」
「養子婿?」
「あんたの父親。婿養子じゃなくて、養子婿なんだよ、あの人。ちなみに違い
って、わかる?」
「あんまり」
「まぁ、そんなことはおいおい知るだろうから、オレの口からは言わないけど
ね。話、戻すよ? 昔、まー君」
チラ、と白石はドアを見やった。その向こう側、タカシの枕元にいるだろう兄
を気遣ったのかも知れない。
「何か、一つ所に落ち着けないと言うか、あちこち、さすらっていた。休みは
全部、海外、行ってって言うか、さまよっていたんだ」
「海外?」
サマヨウ? 
「そう。おばちゃまが元気だった頃は当然、一緒に。オレも誘われて、何度か
一緒に行ったよ。でも、普通、皆が思うような海外旅行じゃないんだよね」
「どういう意味、ですか?」
「あのね、普通、海外旅行って言ったら、日柄一日、ビーチではしゃぐとか、
動物園に行くとか、買い物に行くとか、有名な建物を見て回るとか、名物料理
を食べるとか、そーゆーことじゃない?」
「まぁ、そうですよね」
オレモ、普通ニソンナン、行ッタシ。
「でも、まー君は基本的に石がいっぱい、あるような所しか、行かないの」
「石?」
「そう。パワーストーンって言うか、半貴石のコレクション、見たでしょ? 
あれ、市販品じゃなくて、全部、まー君がどこかで探し出した物なんだ。お金
払って、磨かせて、ああいう綺麗な石に化けているけど、当時は金槌みたいな
の持って、カンカンって掘って。ほとんど恐竜の発掘作業状態」
「はぁ」
「絵も上手だったけど、でも、まー君が画家になるとは思わなかった。どちら
かって言うと一生、石を捜し続けるんだと思っていた」
デモ。
「何で、石なんですか? 石って、そりゃ、綺麗だけど、でも、あれじゃ別に
金目の物にも見えないし」
「さぁね。石って言ったって、目当ての物があって、それだけを捜していたの
か、それとも捜すこと自体が全てだったのか、今となってはそれもわかんない
し。ある日、ピタリと止めてしまったわけだし。それに」
白石は口を閉じ、少しばかり考える間を取ったようだ。
「子供にこんな話をするのも、どうかと思うけど」
そう小さく前置きして、白石は再び、口を開いた。
「まー君って人は、ずっと何かを、誰かを捜し続けていたんだと思うよ。石は
もちろん、女性も同じことだったのかも知れない。傍から見れば、すっごい女
癖が悪いだけ、みたいな取っ替え引っ替えの時期もあったんだ。当時のオレは
それも一種の反動みたいなものなんだろうって、勝手に思っていたんだけど。
でも、今、改めて考えてみると、めざす誰かを捜して、あがいていただけなの
かも知れない」
「反動?」
「ああ。おばちゃまの不器用な生き方って言うのか、そういうものへの反動、
抵抗かな。おばちゃまは美人で賢かったけれど、不器用で、何も知らなくて。
見合い相手が初恋の人だったらしいからね」
「見合い相手」
「まー君とあんたのお父さん。ま、こんな話は他人がすることじゃないよね」
「あの」
「あ。忘れるところだった。瞬一君は、オレが地図を見て、何でギョッとした
のか、それを知りたいんだよね?」
瞬時に我に返る。
「そうです。何か、ビックリしたような顔、しましたよね」
「した、のかもね。あの点々ね、昔、まー君がさまよい歩いた場所と、結構、
被っていたんだよね」
「お兄ちゃんがさまよっていた場所?」
「そう。まー君って、出掛ける時は『行って来る』って言うだけなんだけど、
帰って来ると必ず、オレの部屋の世界地図に『ここに行って来た』って、ピン
を刺してくれんの。で、その時、いつも『何で、オレ、こんな所に行こうって
思い付いたんだろう?』って不思議がっていた。その場所と被っている。それ
が凄く不思議に思えた、ってだけ。じゃ、ね。早く寝なよ。いいね」

 

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