いい匂い。匂いにつられて目覚めるなんて、何年ぶりだろう? 
卵の焼ける匂い。美味しそう。
___そう言えば、お祖母ちゃんの卵焼きは美味しかった。毎朝、起きるの、
楽しみだった。 、、、。
エッ?
___ちょっと待って。え、何で?
勢い良く跳ね起きる。ソファの上には天使が一人、熟睡中だった。どのみち、
彼ではない。あのサイズではキッチンは使えない。
___てことは、、、。
残りは二人。そろりと廊下へ歩み出る。階段へ差しかかった所で、部屋で眠る
天使への気兼ねを放り捨て、全力疾走開始。ドタバタと現場へ駆け付ける。
コッチカ。
 茶色のマッシュルームみたいな頭の、一見、良い子ちゃん。
「おはよ。案外、ゆっくりなんだな、人間は」
「何、言ってんねん? 早朝にもなってへん。夜明け前やで? どこの高校
生がこんな時間に起きんねん? 現場工事のおっちゃんちゃうで」
「おまえ、それは偏見なのか、それとも他に早出をする職種を知らないのか、
はっきりしておかないとその内、告訴されるよ。人間界は最近、告訴流行り
だからな」
「その言い方が爺臭いんだって」
レンはくすりと笑った。
「何がおかしいの?」
「おまえが標準語に戻ったから。落ち着いたんだなと思って。わかりやすくて
いいよな、おまえって。信号機並みだ」
「茶化すなよ。苦労して、やっと普通にしゃべれるようになったのに、台無し
じゃん? どうしてくれるんだよ?」
「無理することないんじゃないの? それが個性じゃん?」
「人のことだと思って」
「大体、どっちも日本語だろ? 同じじゃん? 通じるんだもん、好きな方、
しゃべればいいじゃん?」
「何、大雑把なこと言ってんだよ。少数派は苛められるんです。疎外される
んです。わかる? こっち来てから、オレがどんなに苦労したと思ってんだ
よ? お袋はいいよ。毎日、ずっと親父と一緒にいられてラブラブ、ハッピー
で。だけど、オレは幼稚園で散々な目に遭ったんだから」
「それで、すっかり無口な瞬君に大変身しちゃったってわけだ」
「もう、いい。それより、何してんの?」
「見ての通りだよ。お弁当、作ってんの」
「お弁当?」
確かに彼の手元にはそれらしい布包みが二つある。
「親切だろ、ちゃ〜んとおまえの分も作っておいてやったよ。だから、お礼に
届けといてよ」
「はい?」
「これ、地図。ここにコウがいるから、学校行くついででいいよ、届けといて
ね」

 息が上がる。キツい。
「何が“ついで”やねん? 思いっ切り、遠回りやん?」 
腹立たしくて、独り言でも、返事がなくとも、毒突かずにはいられない。
持ってはいるものの、たまに図書館に行く時以外はガレージの壁に飾ってある
自転車を苦心して引き下ろし、今、瞬一は疾走していた。
___誰が朝からバス乗り継いで、弁当なんか届けるか!っちゅーねん? 
ムキになって自転車で届ける自分もアホだ。
悔シイ。
___何か、段々、ますます、腹が立って来た。今朝はタカシとゆーっくり、
紅茶飲みたかったのに。昨日、学校帰りに買った新しい紅茶の缶、めっちゃ
可愛いくて、タカシに見せたら喜ぶなって楽しみにしていたのに。
ソレナノニ。
『行ったらさ、ビックリするよ。“いいモノ見たよ。レン君の言うこと聞いて
大正解だったな。さっすがレン君”って、オレに感謝するね、絶対!』
___そこまでデカい口を叩くんだったら、見せてもらおうじゃないか。
 勢い込んで、大雑把この上ない手書きの地図を片手にその場所をめざす。
___この辺りのはず、なんだけど。それにしたって、うるさいな。朝っぱら
から何だよ? もう工事してんのか。
どうやら住宅地ではないこの周辺では交通量の少ない時間帯を選んで、一気に
工事を進めているようだ。
___あっちもこっちも工事中か。朝から大変なんだな。
「おーい、林田くーん」
おじさんが誰かを呼ぶ声がする。
「一休みしたらー?」
「ダメだ、聞いちゃいない」
「心頭滅却してるな、ありゃ」
「林田君は熱心だからなぁ」
___心頭滅却。何だ、それ?
馴染みのない単語につられて、何気にそちらを見やり、瞬一は瞬時に固まって
いた。分厚いコンクリートを突き破るドリルの騒音すら遠く聞こえる。砕けた
欠片が跳ね上がり、辺りに飛び散る様が不思議に白く、かすんで見えた。
 世間は未だ早朝。道路工事のおじさん作業員達の群れの中に一際、小柄な
若者が一人、一心不乱に仕事に勤しんでいる。
マサカ、、、。
天使ガ道路工事ッテ、ソンナ。
アホナ、、、。
「何やっとんねん?」
呟いた途端、聞こえたのだろうか、コウは機械を止めて、顔を上げ、瞬一を
見た。
「おう、御苦労。大儀だったな」
アンタハ殿様カ。
同僚に休憩を告げ、汗を拭きながら戻って来たコウは当たり前のように近所の
ガレージの一角に座り込む。
「飯、飯。腹減った」
「あ、うん、これ」
「おまえも一緒に食って行けよ。どうせ、食ってないんだろ?」
「うん。でも」
「律儀だよな。自分が食ってから出たんじゃ間に合わないと思ったんだ」
「それもあるけど」
「何だ? 暗い顔してんな。ああ、レンに丸め込まれて“使い走り”して来た
ってゆーのが気に入らないんだ?」
「もう少し遠回しな言い方、出来ない?」
「出来ないね。それに気の毒だけどな、あいつはおねだり、お願い★得意技に
してるから。絶対、勝てねぇぞ」
「うん。もうイヤってくらいわかってる」
「そりゃあいい。ま、座れよ」
「うん」

 白と水色の格子柄。えらく可愛らしい包みを解くと、見覚えのない弁当箱が
出て来た。
「これ、わざわざウチに持って来てたの?」
「人間に丸抱えしてもらうわけにはいかないから。家賃と食費も払うし、心配
すんな」
「そんなとこまで気が回ってなかったけど」
「オレ達は実直だからな」
「そりゃあ、ね」
___天使だから、な。
 軽く納得しながら蓋を開ける。天使お手製のお弁当はどこか幼稚園の匂いが
する懐かしいものだった。ふりかけのふられた御飯と昨夜のフライドチキン。
赤いウィンナー。ブロッコリー。そしてあの匂いの元、卵焼き。
「ネギが入ってんだ。でも、ちょっと焼き過ぎだね」
「慣れたら、美味いから」
「うん。悪くない」
もごもごと天使と二人並んで、朝食を食べている自分。それも天使の焼いた
卵焼きを。
___変だよな。でも。変と言えば。
「ねぇ」
「うん?」
「何で働いてんの? もしかして、生活費って、自腹なの?」
「いいや。ある程度は天界から出るよ。贅沢しなきゃ困らないくらいは」
「じゃ、何で? いつもキツい仕事してるって言ってたのに。これじゃ、また
余計に疲れるよ? 大体、働くにしても他に仕事はあるだろうに」
「この仕事を選んだのはまぁ、趣味かな。オレに接客業は無理だし。そもそも
働くのは、人間界にいるから、かな」
 マヨネーズの山にブロッコリーを突っ込み、緑色の小房が見えなくなるまで
きっちりまぶして、ようやくコウはそれを口へと運ぶ。
「人間の匂いが身に付くようなもん、だな」
「何、それ?」
「金が欲しくなるんだよ。天界には娯楽ってゆーか、選択肢がないからな。
金なんて必要もないけど、人間として“こっち”に暮らしていると、身の周り
には服とか食い物が山のようにあって、それぞれに種類があって、どれでも
選べるじゃん? それが結構、楽しいから。それに」
「それに?」
「せっかくだから、少し金貯めて、タカシを連れて行ってやろうと思って」
「どこに?」
「まだ決めてない。とにかく、ボートに乗れる所だな」
「ボート?」
「そう」
コウはニヤリと笑って見せた。
「何?」
「あのヒトさ、超ボート好きだから」
「そうなんだ」
「うん。人間が聞いたら、腰抜かすだろ?って、すっげぇ所でデートしていた
らしいぜ」

 

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