確かに階下の二人には『覗くな』と言われた。釘を刺された覚えはある。
ダケド。
___それって、“騒ぐな、起こすな”って、そういう意味だよね? 様子を
見るだけ。それなら、いいんだよね? 本当にダメなら、オレ一人で二階まで
上がらせたり、しないよね? 
誰にともなくそう尋ね、一人納得して、瞬一は部屋の前に立つ。寝具はきっと
客間から運び入れたのだろう。小さな身体とは言え、まさか畳の上に直に置く
ことは出来ない。
___座布団程度で十分なんだし。
そんないらぬ自問自答を続けながらドアを開け、上がり口でスリッパを脱ぐ。
そして、そっと襖を引き、開けて、瞬一は思わず、息を呑んだ。

 部屋の中央にタカシはいて、眠っていた。まるで、光で出来た風船のような
“それ”の中で。一体、何で、出来ているのだろう? “それ”は淡く、透明
で、そのくせ、深く、神々しく輝いている。
___柔らかそうだ。
そう思った。
___例えて言うなら。
もっとも近いもの、それはきっと、くらげだろう。光をまとい、水中で揺らぐ
薄い膜のような、それ。形状は風船に似て、ぷかりと宙に浮かび、紐のような
もので何かに繋がれて、床に固定されている。
___重石って、、、。
それの正体に気付き、瞬一は苦笑した。紐は瞬一が贈った携帯電話のアンテナ
に括りつけられていて、その重石がなければ、ふわふわとどこかに流れて行く
もの、らしい。そして、肝腎のまぁるい球の部分、その中で天使は膝を抱える
ような恰好で浮かび、眠っているのだった。
綺麗ダ。
美しい。だが、見慣れない、不思議な光景でもあった。くるりんと、タカシの
身体がゆっくりと宇宙飛行士のように回る。すると、タカシの背中、両翼の間
から溢れ出る光の粒が、まるでタカシを追いかけるように、後を付いて回る。
___光の粒々と天使が追い駆けっこしてる。
 発光する、風船のような“それ”から溢れた光は瞬一が立った、その足下に
まで届き、部屋は神秘的な、異世界の様相を呈していた。その清々しい光景を
見ては、瞬一には踏み込めなかった。この光は踏めない。そう思う。何色かと
問われれば、緑色だと答えるだろう。
デモ。
___今まで、十七年生きて来て、こんなに綺麗な緑色、見たことがない。
タカシの放つ木漏れ日のような淡い日射しの光を内側に映し、“それ”の持つ
緑色は更に不思議な優しい光に変わっているのだ。
綺麗ダ。
マルデ、神様ノ世界ノ端ッコヲ見テルヨウナ、ソンナ気ガスル。
恍惚としている内に、ふと、瞬一は昔、三人きりで出掛けた縁日を思い出して
いた。
・・・・・
 手を放して、逃がしてしまわないようにと、母親は風船に付いた紐を瞬一の
手首に巻き付けてくれた。
『瞬一はうっかりさんだからね。何かに夢中になると、他のことはさーっぱり
なのよね。時々、心だけ隣の世界に行っちゃうんだもの。心配だわ。自転車に
乗っている時くらい、前にだけ集中して欲しいのに』
『自分に似たと認めなさいな。あなたもそんな子だったわよ』
『あら、じゃ、母さんに似たのよ。母さんの運転なんかおっかなくて、とても
じゃないけど乗っていられない。この間だって、塀をこすって大変だったし。
頼むから、人だけははねないでよね。集中よ、集中。運転に集中してよね』
『はねないわよ。ちゃんと前方に集中してますもん』
『どうだか。すぐ脇見するんだから』
・・・・・
ソウ。
___お祖母ちゃんははねなかった。はねられて、逝っちゃったんだ。

 隆も、祖母も、呆気なく、この世から立ち去った。むろん、二人とも自らの
早過ぎる死を望んでいたわけではない。そんな結末など夢にも見なかったこと
だろう。
___死ぬんはかわいそうや。だって、もう何も言えへん。どこにも行けへん
し、食べられもせん。そやけど、残されるんもつらいんやで? オレは何も
出来ひんかった。ここにおって欲しいのに、引き留められるわけなくて、ただ
見送るだけやった。隆にはお別れも言えんかった。もう大事な人を亡くすのは
嫌や。
畏れながら、それでも、一歩だけ踏み出す。
モウ、失イタクナンカナイ。
___タカシは違うよな? もうじき元気になって、ずっとここにいてくれる
んやろ? 
二歩目。
___一緒に“そのヒト”を捜すから、だから、ずっとここにいて欲しい。
どこにも行かんといて欲しいんや。お願いやから。

 そろそろと見慣れないそれに歩み寄る。その光の風船は近寄れば近寄るほど
胎内のように見えて来る。当然、そんな時代の記憶など残ってはいないけど。
それでも、きっとこうだったのだろうとイメージする、それに似て、温かく
見えた。そんな中で休むタカシはきっと安らいで、癒されているのだろう。
___そうだよね。違う世界に来ているんだ。心労、絶えないよね。コウ君と
レン君が来てくれてよかったんだ。ホッとしたんだよね、タカシは。でも、
あれ? 何か、前より小さくなってないか? 
 天使の表情は和らいでいる。きっと心地良いのだろう。だが、気にかかる。
___だって、これ以上、小さくなったら、困るだろ?
気の迷いか、否か。それを確認したくて、つい、光の球体へ、タカシの身体が
包み込まれて浮かんでいる“それ”へと手を伸ばす。手が触れる寸前、天使は
わずかに身動ぎしたようだった。それに気付いて、瞬一は手を止めた。
 起こしたか? そんな心配をした時だった。目覚めるなり、タカシはバッと
起き上がり、弾かれたように瞬一を、こちらを見た。そして、“それ”の中
から、何かを叫んだ。小さな唇が動く様子は見える。だが、何一つ、聞こえて
来ない。
「え、何?」
タカシが繰り返してくれても、やはり、中から叫ぶその声は聞こえなかった。
だが、その表情は見たことがないほど切迫したものだった。懸命に何かを叫ぶ
天使の唇を瞬一は必死になぞり、読もうと努め、すぐに瞬いた。
「危ない?」
___危ないって、何だ? 
タカシの目。
___オレじゃない。オレの後ろを見てる? 

 

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