マサカ、、、。
 瞬一は七色に煌めく水面へと視線を戻した。当初から、そぐわない光だと、
感じてはいたのだ。
ダッテ。
沼の第一印象を思い出す。薄汚れたような、白っぽい泥水がただ、たっぷりと
ある。それだけの話だったはずだ。
___とても、こんなに鮮やかで美しい、目も眩むような輝きなんかとは縁の
なさそうな、陰気な沼だった。それが急に、こんなに輝き出すなんて、変だと
思ったんだ。
そして、湧き上がって来る気泡自体は発光していないのだとしたら。
ダトシタラ? 
 光を求め、這い上がって来る亡者共。そんな悪しき魂達に“吸い取られた”
天使の力そのものが今、水面でキラキラと輝いているのではないか?
ダッタラ。
コレハ、タカシノ力、ソノモノナンダ。
ダッタラ、、、?
「タカシ! タカシ、身体、身体は大丈夫なの? こんなに吸われてタカシ、
大丈夫なの?」
「大丈夫、まだ大丈夫」
「まだって、そんな。オレ、どうすればいい? どうすれば止められる?」
「落ち着いて。沼に落ちなければ、死ぬことはないはずですから」
「本当に?」
「ええ」
 こくりと頷きはしたものの、目を閉じ、自分の胸元を掴むようにして、荒い
呼吸を続ける天使の様子はどう見ても、ただ事ではない。非常事態なのだと、
思い知らされる。
___どんどん、悪くなる一方だ。 
「タカシ。胸? 胸が痛くなったの?」
頷いて見せるのが精一杯、その様子が痛ましかった。
「オレ、何でもするよ。だから言って、どうすればいい? そうだ」
瞬一は一つ思い出し、慌てて、それへと手を伸ばした。
「さっき、言っていたよね? もし、出たらってあの話。つまり、これ、この
オールを使うんだろ? でも、これで、何をどうすればいいの?」
タカシは薄く目を開け、瞬一を見上げた。
「もし、出て来たら、、、」
「出て、来たら?」
「取り敢えず、引っぱたいてやって下さい」
「え?」
 額に脂汗を浮かべ、それでも天使は微笑んで見せてくれた。その茶目っ気の
ある笑顔を見れば、瞬一の肩からも一息に力が抜ける。
ふっ。
オールを握り締めたまま、瞬一も一息吐いた。あまりに力んでも、何の甲斐も
生まれない。
___偽物の笑顔なのに、一発でリラックス出来た。さすが本物の、天使だ。
「瞬一」
「何?」
「人間界でテレビを見ていて、吹き出しそうになったことがあります」
「何の話?」
「“魔物さん”はきっと、モグラ叩きが得意なんだろうなって。その要領です
よ」
「モグラ叩き?」
瞬一は戸惑い、大きく瞬いた。
「あの、タカシ。これで、何を叩けって言うの?」
「悪しき魂を」
「悪しき魂? でも、あんな泡って言うか、気泡? あれじゃ叩きようがない
って言うか。そりゃあ、シャボン玉みたいに潰れて、消えはすると思うけど、
それでタカシ、助かるの?」
天使は小さく首を振った。
「いいえ。気泡を潰すのではありません。あれはまだ中レベルで、最終形では
ないんです。今日は数が多過ぎて、こんな状態に陥っていますけれど」
「最終形? 中レベル? ってことはつまり、これより上がいて、それが出て
来るから、それを叩けって、そういうこと?」
「ええ。彼ら、最終形は具現出来るんです」
「具現、って?」
「形を、実体を持つことが出来るんです。ほら」
タカシの言葉に驚き、弾かれたように振り返ると、水面には新たな異変が起き
始めていた。
「な、何やねん?あれ」

 仕組みは皆目、わからない。だが、事実、悪しき魂達が泥水を使い、身体を
持とうとしている。泥水が形を保つことで亡者達が新たな身体を得ようとして
いるのだ。
「手が」
そこかしこからにょっきりと突き出し、現れた無数の手が皆、こちらを向き、
この小舟をめざして、一斉に伸びて来る。この小舟、いや、天使の光を求めて
いるのは間違いなかった。
「タカシ!」
 気付いて、思わず、叫んだ。小舟の縁、タカシのすぐ側に泥水の手が一つ、
取り付いている。目当ては天使、そのものなのだ。とっさに握り締めたオール
で、その手を叩く。どんな効果があるのか、土台が泥水で、痛みを感じるもの
なのか否か、何もわからない。だが、叩かれたその手は引き下がった。とは
言え、息を吐く間はない。次の手が反対側から、そして、また新たな手が先の
場所から伸びて来る。
「絶対、渡さへん。盗られてたまるか!」
今度コソ。
強く、拳を握り締めた。
・・・・・
 隆の時には、“その場”にいなかった。雨上がり、利発な隆が廃材置き場で
一人、いつまでも遊んでいるなどとは、両親にさえ思いつかないことであり、
結果、あの事故を未然に防ぐことは不可能だったと言えるのかも知れない。
オレダッテ、隆ガズット、アソコニイルナンテ、思ワヘンカッタ。
イツモ、危険ニ敏感ナンハ隆ノ方ヤッタカラ。
当然、一人になれば、隆は慣れた、いつもの場所へ、次の、安全な場所へ移動
するものだと思っていた。 
デモ、隆ハ動カンカッタ。
カワイソウナ、隆。
___生き埋めなんて、あんまりや。もしも、あのまま、オレが一緒におった
ら。そうしたら、オレが隆を助けてあげられたかも知れへん。助けられんの
やったら、いっそ、一緒に埋まったらよかったんや。そうしたら二人、一緒に
遠い所に逝けた。隆一人で逝かんで済んだんや。
・・・・・
 隆を思うと我知らず、泣けて来る。だが、どんなに悔やんでも、取り返しは
つかない。
隆ハ、モウスグ生マレ変ワッテ、戻ッテ来ル。
天使が教えてくれた“事実”を噛み締める。
___天使と出会えて、オレはラッキーだったな。
もし、コウやレンと出会わなかったら、自分は生きている限り、同じことを
考え、未練に苦しみ続けたことだろう。
___せっかく教えてくれたんだもんな。
ダッタラ、オレモイイ加減、過去ニハ決別スルヨ。
ソウシナクチャイケナイッテ、ワカルカラ。
ダッテ、今。
今、大事ナンハ、コノ天使ダカラ。
___ここに、“この場”にいるのに、むざむざ連れさらわれてたまるか。
目の前にいるのに、奪い取られるなんて絶対、御免だ。
今度コソ、オレハ大切ナヒトヲ守ルンダ。
「瞬一」

 息を切らし、水面に目を凝らす。眩しいだとか、何だとか不服を言っている
場合ではなかった。
「瞬一」
「何? ちょっと待ってて。今、それどころじゃ」
「聞いてくれるだけでいいんです」
弱い声が聞き取り難い。
___忙しいし。
手一杯なのだ。
「大丈夫。人間はたぶん、大丈夫です。重いし、それに彼らには“用”がない
はずですから」
「黙っとき。絶対、オレが守るから」
タカシは苦しい息の下、それでも黙ることはしなかった。
「瞬一。万が一の時、絶対に僕を追おうとしないで下さい。このまま、小舟の
上にいてくれたら、この子が必ず、岸まで送ってくれる。着いたら、恐らく、
遠くに光が見えるはずです。それをめざして、、、」
何ヲ言イ出スンダ? 
怒りを込め、とうとう腕を、肩を、頭を、身体そのものを持って、小舟に這い
上がろうとし始めた泥の化け物を力一杯、オールで突き落とす。
「何、言うとんねん? オレは絶対、タカシを放さへん。こんな化け物連中に
渡したりせえへん。守って見せるから、つまんないこと言うな。諦めるなや」
「ありがとう、瞬一。でも、約束して下さい。絶対にこの沼には、この中には
落ちないで。お願いだから、飛び込んだりしないで」
涙まで浮かべて、懇願されては断れない。
「わかった」
よかった。小さな声で呟き、胸を撫で下ろす天使を見て、半ば、呆れてしまう
自分は完璧に、人間なのだろう。
___狙われているのは自分なのに、オレの心配するなんて、有り難すぎる
よ。
天使のために最善を尽くしたい。そう胸に決め、モアイ像のような顔を持った
泥の化け物を突き落としながら、瞬一は息を切らしていた。
___そろそろ、ヤバイ。
実感していた。
ダッテ、キリガナイ。

 

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