誰ダ? 確かに今、誰かが言った。 オレニ動クナト、ソウ言ッタ。 デモ、、、。 ___誰だ? 瞬一はぐるりと周囲を見回してみる。白いもやに覆い尽くされ、まるで先の 攻防が夢か幻だったかのように静まり返った薄暗い世界。瞬一が暮らす、あの 賑やかで猥雑な、それでも今となってはひたすら懐かしい人間界と対を成すと いう、死者達の棲まう冥界とを繋ぎ合わせ、思いがけないことが起こるらしい 端境、この沼に人影はないはずだった。 ___少なくとも、言葉を喋るようなのはいない、よな? なのに、何で? 不審だが、それでも、確かに聞こえた。 ___空耳じゃないと思った、けど。 ぴしゃん。 そんな音だった。 小さな、水の跳ねる音に驚いて、瞬一はその音、もしくは音を立てた誰かを 捜し求め、水面へと目を凝らす。 ___あれ、は。 すぐに静かな白泥の水面に一つ、突き出したそれに気付いた。見覚えがない わけでもない“それ”はゆっくりと水面を横切り、こちらへと近付いて来る。 ___お魚さん、か? あの真っ赤な魚の頭部から伸びたルアー、例の疑似餌が偽の光を灯して、接近 して来る様子が見える。 ___そう言えばいたな、あんな奴も。 デモ。 何カ。 ___どこか、変じゃないか? もしかして、かなり、大きくなってやしない か? 巨大化しているような。 だが、もし、それが赤い魚、“彼”ならば。考えてみる。魚なのだから当然、 彼は自由に水中を泳ぐことが出来る。その上、魚のくせに、天使の言葉を理解 出来ていた。 ダッタラ。 ___頼んだら、オレの代わりに捜してくれるかな? ここにいるって、そう 教えて、いや、小舟を連れて来たようにタカシを連れて、、、。 瞬一は自分の思い付きが滑稽なものだと気付き、気恥ずかしくなって、苦笑 した。 「無理、だな。見付けられはするかも知れないけど、でも、引き揚げられない もんな。何せ、魚なんだから」 ソウダヨ。 魚ナンテ、食ベル以外ニハ使イマイガナインダカラ。 ___ま、あんな真っ赤っかボディーじゃ、煮ても、焼いても、フライにして も、とても食べる気がしないと思うけど。 「失礼なガキだな」 今度はそう、はっきりと聞こえた。 「え?」 次の瞬間。 ___ひぃっ。 驚きが勝り、悲鳴も出ない。尻餅を付き、突然、現れた“それ”を凝視して しまう。あまりにも赤い、だが、しっかりと五本の指を持つ右手。小舟の縁を 掴んだ“それ”は、今日まで見たことのない異様な代物だった。右手首、小指 側のそこから肘の上まで真っ直ぐにヒレに似た飾りのようなものがはえ、更に は長い腕をウロコとも言い難い何かがぴっしりと覆っているのだ。 ___フィギュアみたいや。 瞬一が茫然とそんな感想を抱く間によっ、と、小さく声を上げ、“それ”は 易々と小舟に乗り込んで来た。度肝を抜かれ、拒む気力も湧いて来なかった。 ただ、無言のまま、観察し、その正体を訝る。あの真っ赤な魚のような、違う ような、その誰か。 ___は、半魚人? お魚さんとは別口だよな? だって、お魚さんは魚で、 このヒトは人っぽいもんな。でも、感じは似てる。まさか、変身出来るとか? 率直に言えば、気味悪い。しかし、その姿を気にしている間はなかった。彼は 小脇に抱える要領で、もう一人、連れていたのだから。 「タカシ!」 赤い、長い左腕に抱かれ、ぐったりとした天使を見付け、駆け寄ろうとする 瞬一をギロリとばかりに見やった彼の目は紫色だった。赤い身体にそぐわない 不思議な瞳は妙に生々しく、凄味を湛えていた。 「タカシ。た、助けてくれたんだよね?」 「借りがあるからな」 ___借り? 瞬一は瞬いた。 ___そう言えば。タカシは魚の傷を治してあげていた。 「じゃあ、やっぱり、あの、あな、たって、あの、その」 「魚で構わないよ。人間なんぞに名前を呼ばれる方が、よほど気分が悪いから な」 どこかで聞いたような、高慢な言いぐさだ。だが、反論はしなかった。言葉を 交わせる、それも、この世界を熟知しているだろう味方が一人、現れたのだ。 不服を唱える必要などあるはずもない。ひとまず、助かった。そう安堵して、 ようやく魚に抱かれたままの天使に意識を戻す。 「タカシは? タカシは大丈夫なんだよね?」 「ああ。気を失っているだけだ。おまえ、しばらく向こうを向いていろ」 「え? 何で?」 「水を吐かせるんだ。だいぶ、汚い水を飲んでしまったようだからな。オレが いいと言うまで向こうを向いていろ。いいな」 「うん」 程なくしてゴホ、ゴホと咳き込むような苦しげな声が背後に聞こえ、瞬一は たまらなく振り向きたいと思う。自分の目で天使の様子を見たい。見て、無事 だと確認したい。だが、それはままならなかった。瞬一には、あまり他者には 覗かれたくないだろう様子を見つめる、そんな資格はなかった。 ___だって、お魚さんはタカシを気遣って、それで見るなって、言っている んだもんな。その気持ちは大事にしなくっちゃ、な。 タカシノ為ニ。 ブツブツと呟く魚の声だけが聞こえる。小さな、その上、意味のわからない 言葉。まるで呪文のようだが、天使に掛けてやっているとわかる、あやすよう な、優しげな声音だった。 イイ声ダナ。 単純にそう思う。 デモ、、、。 瞬一は停止した小舟の上で小首を傾げる。 誰カニ、誰カノ声ニ似テルヨウナ気ガスルンダ。 |
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