苦しい息の下、それでも天使は懸命に誰かを呼んでいる。
誰ヲ呼ンデイルンダロ? 
胸の底に小さく、だが、強い羨望を覚える。
オレダケヲ見テ欲シイノニ。
高熱に苦しむこんな時、助けて欲しいと望む誰かが、彼にはいる。
モウ、イルンダネ、ソウイウヒトガ。
妬ましい。
邪魔者メ。消エテクレレバイイノニ。
出来ルナラ、今スグ、ソイツヲ消シテシマイタイ。
しかし、瞬一には今、実際に何かをする必要はなかった。
ダッテ、今、ソノ誰カサンガ、コノ天使ニ何カシテアゲラレルワケジャナイ。
ダッテ、ソノ誰カサンハ、ココニイナインダカラ。
天使が今、こんなにも苦しんでいて、そんな中、必死に助けを求めていても、
その誰かには声を掛けて励ましてやることも、手を握ってやることも出来ない
のだ。
___何一つ、出来ないんだ。ここにいないから。
瞬一は天使がまるで、その“誰か”に救いを求めるように宙へ伸ばした小さな
左手を見つけ、そっとその手を両手で包み込んだ。
今ハ、オレダケガ頼リナンダ。
その事実に深い充足感を覚える。とにかく生き延びて欲しい。
ソシテ、オレノ夢ヲ叶エテ。
「しっかりして。頑張って」
息を詰め、付き添い、見守る。そのうち、瞬一も疲労していたのだろう。つい
と深い眠りに落ち込んでいたようだ。
___ん? 何だろ? 
 眠い目を擦ってみる。決して夜明けではない。未だ午前四時に至らない夜の
内。厚いカーテン、遮光カーテンと2枚重ねたその窓を割って入る自然の光は
ないはずだ。だが、室内には朧気ながらも白い光が裾を広げ、不可解な明るさ
が満ちようとしている。その光に瞬一はうたた寝からふと、目覚めてしまった
ようだった。
___何だ? 
光源を求め、寝惚け眼のまま、視線をさまよわせる。そして、すぐに瞬一は
見つけていた。
「あっ」 
机の上。にわか仕立てのベッドの上に。
___光が、、、生まれて、る?
 傷ついた天使は両翼を広げ、その翼自体が淡く、白い光を放っていた。翼の
中から、白い身体中から、気泡のように小さな、本当に小さな光の粒が浮かび
出て、空気に触れる度、小さく弾けて消えて行く。その光こそが今、室内を
薄明るく照らす光源だった。目の当たりにする信じられない光景に瞬一は息を
呑む。苦しげな表情を浮かべ、天使は必死に耐えている様子だった。
 近寄ってはならない、そんな気がする。大体、足がすくんで、そこには行け
そうもなかった。ただじっと、その様子を見守るしか瞬一には出来なかった。
ただ、彼の回復を祈りながら。
 時間にするとどれくらいのことだったのだろう? 神秘的な美しい光景に
魅入り、立ち尽くす瞬一には時間の流れは全く感じられなかった。やがて、
全身から放たれていた光がすっと消え、天使は気を失うようにバサリと前方に
倒れ込んだ。それに驚き、瞬一自身、我に返ったと言ってもいいだろう。
慌てて、駆け寄ってみる。見る間に闇へと戻った室内。そこにうっすらと白い
残光をまとった天使が浮かんで見えた。
___でも、よく見えない。
机上のライトを直接、天使の顔を照らさないよう気を付けながら灯してみる。
あっ。瞬一のその悲鳴は声にはならなかった。彼は身体中、傷だらけだった。
特に背中と翼は無惨な状態で、瀕死の重傷だったと言ってもいい。そして、
素人の瞬一に出来る手当など、たかが知れていた。つまり、先程、うたた寝を
始める前に瞬一が見て、記憶した状況が今もそこにそのままあるはずだった。
___だけど、何もない。傷なんて、一つも。
滑らかな背中に裂けたあの傷はなかった。折れた翼も、ただ羽根があちこち
むしり取られたように欠けた部分があるだけだ。
___どうして? 
触れてみる。するとあのひどい高熱も幾分、ましなものへと下がっている。
サスガ、神様ノ世界ノ住人。キット、助カル。
___いや、もう大丈夫なんだ。
それから三日間、天使は身動きもしなかった。高熱は依然、彼の小さな身体に
居座ったままで、精々、一進一退というところだろう。その間、瞬一は彼に
付きっきりだった。水だけでは身体が保たないだろうと、りんごをすりおろし
た果汁やジュースを与えながら、ずっと付き添っている。裂けた傷口、特に
深く内部の肉をさらしていた翼の付け根辺り、あの裂傷が塞がった回復ぶりに
は驚かされたが、やはり天使は違うのだと納得して、今日も天使の傍にいる。
考えてみると、発光現象そのものよりも、こうして逃げ出さずにいる自分の
方が非常識なのかも知れない。
___普通、びびっちゃうよな? 腰、抜かしちゃうよな? 
 瞬一は小さく苦笑いした。心底、欲しいと願い続けて来た相手。その彼を
前にした今、瞬一には彼を畏怖する理由は何もない。
___どんな違いがあったって、オレならきっと全部受け入れてあげられる。
ずっと一緒に暮らして行ける。そうだよね? 
呼び掛けてみても、未だ言葉は返されない。それでも次第、次第に天使の目が
開かれている時間は長くなって行く。そのゆっくりとした回復が嬉しくて、
たまらなかった。
モウスグナンダヨネ? 
オレハ君ト色々ナ話ガ出来ルンダヨネ? 
楽シイ話ヲ聞カセテクレルヨネ?
そして。
 四日目の朝、瞬一がウトウトとしていると、微かに物音がした。ハッとして
起き上がる。すると、天使も起きようと苦心している最中だった。
「無理しちゃダメだ。まだ動いたら、いけないよ」 
小さな簡易ベッドの上に天使はどうにか上半身を起こし、座ることは出来た。
「大丈夫なのかな?」
瞬一は彼に日本語が通じるものなのかわからず、せめて、大声で怖がらせる
ことがないように出来るだけ優しく話し掛けてみる。
「痛くない? 無理しない方がいいよ」
天使は、こくりと頷いた。
「オレの言葉、わかるの?」
「はい。日本語は少し、習ったことがあります」
彼はわずかに居住まいを正したようだ。
「あなたが助けて下さったんですね。どうも、ありがとうございました」
ペコリと天使は頭を下げる。
可愛イ声。
「おかげで助かりました」
それに。
瞬一が驚くほど綺麗な顔だった。両目を開け、表情を持った顔は苦しげな寝
顔とはまるで違って見えた。目を開けたら綺麗だろうと予想していた瞬一の
期待以上に天使は美しかった。
本当ニ天使ナンダ。
本物ナンダ。
長年の夢。それは、天使を友達に持つことだった。
ズット、オレダケノ天使ガ欲シカッタ。
 今、その天使が目の前にいる。いもしない者は手に入れようがない。だが、
もし、何処かにいるのなら、可能性はある。そう信じ、頑張って来た。
手ニ入レタモ同然ダ。
ダッテ、今、ココニ、天使ガイルンダカラ。
恍惚に浸る瞬一を天使は怪訝そうに見上げていた。その不思議そうな視線に
気づき、瞬一は慌てて弁解する。嫌われては困るのだ。
「いや、あの、天使を見るのは初めてだから。ドキドキしちゃって」
「僕も、人を見るのは初めてですよ」 
瞬一はふと、小首を傾げた。
「あれ、服、どうしたの? 何で服、着てるの? 着ていた服は一応、取って
あるけど、ボロボロだったのに」
天使は純白の先の服とそっくり同じ新しい服を着ていた。
「服は着たいと思えば、それでいい物なのでは?」
彼は不思議そうだった。
「人間界では違うのですか?」
「え、ええ、まぁ。ちょっとシステムが違うみたいだね。それより、未だ名前
を言っていなかったな。オレ、瞬一。十七歳だよ。君は、何て名前?」
天使はじっと瞬一を見つめた。
「何?」
「あの、お好きなように呼んで下さいませんか? 人間には発音出来ない音
なので、呼んでもらいようがないんです」
「ああ。あ、さっき日本語は習ったって言ったよね? じゃあ、天使の言葉
って、人間の言葉とは全然、違うんだ?」
「ええ。大抵、人は鳥が鳴いていると思うそうですよ」
彼はくすりと笑い、背中の翼を広げて見せた。
「似たようなものですよね」
「確かに」
くすくすと小さく笑い声を上げ、二人は微笑み合う。上手くやって行けそう
だ。そう思った。
「だから、あなたが名前を付けて下さい」
「オレが付けていいの?」
「ええ、もちろん」
「大役だな」 
さて、何がいいだろう? 瞬一は首を捻る。
___御大層な名前を付けると運が悪くなるって、姓名判断の本に書いてた
よな。ふっ。まるで、子供に名前を付ける親の気分だな。 
日本人のような、そうでないような整った顔。この容姿なら、どんな名前も
おかしくはない。
デモ。
出来ルナラ、、、。
アノ子ノ名前ヲ、、、。
「タカシでいい? 幼稚園の頃の友達の名前なんだ。良い子だったんだよ」
「大切なお友達の名前をお借りしてよろしいのですか?」
「使って欲しいんだ」
「では」
タカシはこくりと頷き、微笑んでくれた。
アノ子ニ似テル、、、。

 

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