「それって、つまり、こっちに来たらそのまんま、居座っちゃうってこと?」
「そんな気軽なもんじゃない。きっと、オレ達とは覚悟って言うか、質が違う
んだと思う。決意の程がね」
レンの口調は穏やかだが、その表情は決して、幸せそうなものではなかった。
「オレ達、南ッ側の天使は例えるなら、そうだな。サラリーマンみたいなもの
かも知れないね。毎日、電車に乗って、長い時間を掛けて、仕事場に行って。
一日分の仕事が終われば、また同じ電車に乗って、くたびれ果てて、我が家に
帰る、その繰り返し。楽でもないけど、それでも、ちゃんと定期的に帰りたい
場所に帰ることが出来る。帰りさえすれば、一旦はリフレッシュも出来る」
レンは一つ、自分を力付けるように息を吐く。
「だけどね、西ッ側の奴らはそうじゃない。ほとんどは一度、こっちに来たら
最後、二度と天界には戻らない」
「どうして? だって、たまには故郷に帰りたいだろ? 全然、環境が違うん
なら、尚更___」
「死亡率が」
思いもよらない単語の、その持つ強さに驚き、瞬一は口を噤んだ。
「死亡率が格段に高いからだよ。生きて、役目を終えることが出来る奴なんて
まず、いない。滅多にいないから、だから、、、」
口ごもり、目を伏せたレンの様子を見ては、瞬一に二の句は告げられない。
___オレごときじゃ、何も言えない。
 レンの独白は続く。
「悪魔と戦うんだもの、命賭けだよね。だから、奴らは皆、敢えて、個として
生きる。だって、少しでも仲間に気を回したら、仲間を気に掛けたら、眼前に
いる“そいつ”に集中出来ない。仲間に気を取られるってことはつまり、足を
取られるってことだろ? それは、戦う者にとっては不利でしかないんだよ」
「じゃあ、じゃあ、せめて。天界とこっちを行ったり、来たりって、そういう
ことは出来ないの? それなら時々、友達に会ったりとか」
レンは小さく首を振る。
「それじゃ、覚悟が揺らぐ。何度も、何度も、辛い思いをすることになるじゃ
ないか? こっちに来る度、また新たに決意を固めなくちゃならないなんて、
余計、辛いよ」
レンは無言のままのコウをチラと見やり、気を掛けた上で新たに口を開く。
「そんな、一人で生きるって決め込んでいる奴らが今日みたいな、あんな群れ
で現れるなんて。そんなこと、天界じゃ絶対、有り得ないことだし、人間界で
だって、想像もしない事態だった。だから、オレ達もパニクって、とうに消化
したはずの、大昔の出来事まで思い出した。おまえみたいな子供にまであたる
なんて、オレも、コウも相当、取り乱していたんだと思う。迷惑を掛けたな。
ごめん」
「いいよ。こっちこそ、ごめん。大泣きしちゃって。驚いたよね」
「まぁ、ね」
目が合い、どちらからともなく、苦笑いする。ふと見るとコウも少しばかり、
苦みの混じった照れ笑いを浮かべていた。
ソレニシテモ。
 レンは一体、何を思い出したのだろう? 
___研修って、どこで、何をしていたんだろう? 
常時、明るく、前向きなレンすら、取り乱すような経験。
聞いてみたい。
___でも。
恐らく、人間の瞬一が聞いてはいけないことなのだろう。
___オレ、子供だしな。
一人、胸の内でこっそりと、諦めを付ける。すると、レンが瞬一を見やった。
「知りたい?」
「えっ」
「いいよ、別に」
 思いもよらない快諾に驚いて、瞬一は反射的にレンを見た。その落ち着いた
表情には悪ふざけをする気など、全く見当たらない。真摯なものだった。
「いいの?」
「いいよ。おまえはもう、“別枠”だもん。そこら辺の人間達とは違う。オレ
が一人前になる前の、大昔の話だし。それにもう、オレしか、当事者もいない
ことだから」
 レンは穏やかな表情を浮かべたまま、話を続ける。
「南ッ側の天使はね、修行を重ねて、いよいよって段階に到達したら、一度、
人間としてこっちに、人間界に生まれてみるんだ」
「人間界に、って? 人間になる、の?」
「そう」
レンはこくんと頷いた。
「人間になる。自分が天使だってことを忘れて、当然、翼も、翼がもたらして
くれる天使としての能力も一切、なく。おまえと同じただの人間として、人間
界に生まれるんだ。そして、それが最終試験を受けるための予備段階、研修に
なる」
「その時に嫌な思いをした、ってこと?」
「そう、なるかな。だけど、仮初めのものとは言え、その時、オレは良い家に
生まれ、両親に愛され、研修としては有り得ないくらい、恵まれた子供だった
んだ。その日までは、、、」
レンはその表情を、声音を暗いものへと一変させる。
「オレは家族と共に船旅に出た。今となっては何のために旅立ったのか、どこ
からどこへ向かっていたのか、そんなことは何一つ、わからない。随分と昔の
ことだし、覚えている必要もないことだから、忘れてしまったんだろう」
 レンは遠く、どこか、ここではない世界へと想いを馳せている様子だった。
うっとりと何かを懐かしむような目が瞬一には不思議に痛々しく見えた。
「船の上でも、陸と何ら変わらず、オレと家族は幸せに過ごしていた。父さん
と母さんは代わる代わる楽しげな笑顔でオレを抱き締めてくれたし、そうだ、
オレには弟と妹がいたんだけれど、その子達もオレを見るとその度、嬉しそう
に笑ってくれて。退屈だから早く着けばいい、早く陸の上を走りたいって思い
ながら、でも、このまま、ずっと船の上にいても、オレ達は幸せでいられると
思っていた。オレは幸せしか知らなかったから」

 

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