コトン、コトン、と一段ずつ。このペースで四階まで上るのはやはり、楽な
ことではなさそうだ。
___やっと半分、か。この調子だと、上り切る前にせっかち二人組が戻って
来そうだな。
パタパタと空いた手で扇ぎ、自分とタカシに小さな風を送りながら、ふと空を
見上げる。未だ日射しに溢れ、熱気を持ったままの青空にもうっすらと、夜の
気配が滲み始めたように見える。
マダマダ、ダケド。
それでも。
モウ数時間ノ辛抱ダ。
そうすれば。
「瞬一」
名前を呼ばれ、天使へと視線を移した。
「うん? 何?」
「先に行って構いませんよ。一人でも行けますから」
「えっ? あっ」
こっそり、これから上って行く先を見ながら、“他の事”を考えていたことに
気付かれ、その上、どうやら悪い方に取られてしまったようだ。きっと痺れを
切らしていると思ったのだろう。タカシはやや眉根を寄せ、申し訳なさそうな
顔をしていた。
「手を添えてくれなくても、大丈夫です。先に上がって、休んでいて下さい。
お部屋に小さい冷蔵庫があって、中にジュースを入れて置いたって、さっき、
下でレンが言っていたでしょう? だから、それを飲んでいてくれたら」
「タカシ、待って。そんなつもりじゃないんだ。本当だよ。気にしなくていい
んだ。大丈夫、タカシのペースでゆっくり、上ってくれたらいいんだ。オレ、
付き合うから。ねっ」
「でも、暑いんでしょ? 喉も渇いたんでしょ?」
瞬一の額の汗を気に掛けてくれたらしい。
「いや」
タカシは優しい。だが、少しばかり、気を回し過ぎるきらいがあるようだ。
「瞬一?」
瞬一の顔に浮かんだ苦笑いに気付き、天使が小さく首を傾げた。
「あ、ごめん。そうだね、確かにオレも暑いし、喉も渇いているけど。でも、
タカシの方がずっと暑いんだろ? 顔、赤くなっているよ。大丈夫? 気分、
悪いんじゃないの?」
もしかすると、一年中、温暖な天界に生まれた彼には上手く発汗が出来ないの
かも知れない。
「ね、ちょっとくらい、ひっぱたかれてもオレ、大丈夫だから。だから、残り
半分はおぶって行ってあげようか?」
「ありがとう、瞬一。でも、大丈夫です。自分で上れますよ。上る分には一人
でも、まず、落ちないでしょうし」
「そうかも知れないけど」
甘えたがらない天使の高く通った鼻筋に手を伸ばす。
「ちょこっとだけど、汗かいているよ? これ、脱いだら?」
白いデニム地のジャケット。車内ではクーラー対策だと思っていたが、降りて
しまえば、暑いだけなのではないか? 
「大体、タカシはいつも長袖だね」
「そうですね。天界では長袖が当たり前なので、未だにコウやレンの肘を見る
とビックリします」
「ビックリ?」
「ええ。普通、天界では他人の腕を見ることはありませんから」
「ふぅん」
どの道、タカシが甘えて来ることはなさそうだ。
「じゃ、ゆっくり行こうか?」
「いいんですか?」
「うん。タカシと一緒に行きたいからね。一緒に金魚、見ようよ」
「ありがとう、瞬一」
ニッコリと笑ってくれた天使の肘を持ち、背中に手を添えて、ゆっくりと着実
に階段を上る。
「もう、ちょい」
ゴールは間近だ。心持ち、風も清く、涼やかに変わって来たような気がする。
柵からはみ出した枝先が手招きしてくれているようで、我知らず、声も弾んで
来た。
「何がいるんだろうね」
ようやく上り切った先。御丁寧に背の低い木戸が行く手を遮っていた。
コレ? 
昔、隆の家で見た、玄関先に、階段に、家のあちこちに設置されていた犬の、
飛び出しや進入を防ぐための柵状の扉に似た、それに瞬一は疑問を覚えた。
___金魚にこんなの、いらないもんな。犬もいるのかな? それにしても。

 変だと思った。よく見ればその扉にも、周囲を取り囲むフェンスにも、目の
細かいネットが貼り付けられている。
___やっぱり、犬か。それにしては静かだな。普通、ワンワンうるさいはず
なのに。室内にいるのかな?
カチャンと留め金を外して、屋上のベランダ部分に入る。
「広いですね」
「うん」
床面積の大半を“庭”が締め、住居としては部屋が二つ、並んでいるだけだ。
どうやら、その掃き出し窓から家族は直接、庭への出入りをしているようだ。
窓の下には気軽な履き物が幾つも並び、洗濯物を干す台や、椅子、机代わりと
思しき木箱が点在している。青空の下、賑やかな家族が仲良く暮らしているの
だろう。そう微笑ましく思った。
「台風の時はどうするんでしょうね?」
天使の視線の先を追う。柵際、俄作りのような屋根付きの一角を心配したよう
だった。
「吹っ飛びそうだよね」
「ええ」
雨と日射しを避けるためらしい薄い屋根の下に棚が設けられ、棚板が落ちるの
ではないかと心配になるほどの大量の鉢植えが並べられている、その下側。
「あれが金魚鉢なんじゃない?」
 水鉢らしき鉢の方へ二人、並んで歩み寄る。ざっと掛けられた網をはぐって
みるとやはり、水草の下に金魚はいた。
「あんまり赤くないんですね」
残念そうな天使の声に頷く。
「そうだね」
___さすがに“お魚さん”ほどはね。
失望したらしく、さっさと金魚から関心を逸らしてしまった天使はすぐに目を
輝かせた。
「何?」
「亀がいますよ」
指差された先にのそりと動く物体があった。
「すっげぇ、でっけぇー」
思わず、歓声を上げ、瞬一は駆け出した。
「幼稚園の時以来や。懐かしいな。庭におったんやで? うわぁ、まだいる。
ぞろぞろ出て来た。日陰におったんやな。愛想ええなぁ、亀やのに」
「可愛い」
嬉しそうな天使の声を聞き、賛同を得たのだと思い、気軽に振り返って、瞬一
は息を呑む。
ハイ? 
「見て、瞬一。可愛いでしょう?」
ニコニコと彼は正気で言っているらしい。
「あ、ごめんなさい。まだ軍手をしたままでした」
___そ、それに素手で触る気かい? 
瞬一が呆気に取られ、口を開けたままでいる隙にタカシは軍手を取り、それを
抱き上げた。
「重ぉい」
珍しくはしゃいで、楽しそうな様子は見ている瞬一にも嬉しいものだ。だが。
「可愛い」
確かに、キラキラと輝く天使の笑顔は可愛らしいと思う。しかし、その笑顔の
下、両手で抱いた“それ”は絶対に可愛らしくはない。
ダッテ。
___イグアナだよ、それ。しかも、超デッカいの! 
ソウ言エバ、、、。
以前、二人の天使が言っていたはずだ。タカシは悪食だから、美形の北ッ側の
親玉さんには見向きもしないのだ、と。
アノ話、マジカモ知レナイ。
「瞬一も」
抱くように勧められても正直、困るばかりなのだ。瞬一が固まっている間に、
足元を亀達がトコトコと一心不乱に歩んで、通り過ぎて行く。その行く手には
華やかな白い笑顔が輝いていた。
何ダ。
彼らが揃っていそいそと飛び出して来たのは、この気の良い天使を迎えるため
だったのだ。
___そりゃあ、オレのためじゃあないよな。
 ふと、まるで誰かに呼ばれでもしたようにタカシはふいに笑みを消し、首を
捻った。
「どうしたの?」
「向こうに随分、苦しそうな子がいます」
「家の、中?」

 

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