天使はコクリと頷いた。
「そう、感化。影響されて、引きずられて、流されるんです。元々、天使には
人間ほどの濃い、平たく言えば」
一旦、口を閉じ、それからタカシは内心の逡巡を断ち切るように、改めてその
口を開いた。
「人間ほど欲張りな、強い感情を持ち合わせません。だから、自分達にはない
人間特有の激情には影響され易いようです。勿論、コウやレンは南側の天使と
して、人間界で体験し得る事、全てに対処出来るよう、一通りの学習と訓練を
積んでここ、人間界へ来ていますから、そんなことはないようですが。僕はと
言えば、“飛び込む”間際になって、そんなこともあると教えられただけで。
聞き囓ったに過ぎないので、対処の仕様がなくて、こんなことに、、、」
そう言って、天使は目を伏せる。どうやら彼は自分の、慣れない感情の揺れに
戸惑っている様子だった。
___そうだよな。普段は“ベタ凪状態”、だもんな。生まれつき、天使って
のほほぉんとしているんだろうなって、そんな感じだもんな。
ソレヨリ。

 瞬一にはどうしても気に掛かる、一言があった。“飛び込む”間際になって
教えられた。そんなことをタカシは言わなかったか?
飛ビ込ム間際ッテ? 
教エラレタッテ?
ツマリ、、、。
 瞬一は精一杯、自分の記憶の底を掘り起こし、手当たり次第に漁ってみる。
コウ達が言っていた。天界と人間界とを行き来するために用意された“特別な
ドア”を使わず、その上、専門の天使達の手助けも借りずにどこかの“綻び”
から一人、こっそりと人間界への進入を試みるなど無謀この上ないことだと。
蟻が回転中の洗濯機の中にダイブするような、そんな類の無茶だと言っていた
はずだ。
___そんな大それたことをしようかって時の、直前になって、こんなことも
あるよって、一応の説明を受けたんだとしたら。
当然、誰か、もう一人くらいはその現場にいたことになる。
___これから決死のダイブをしようかって、タカシの隣に。

 天使が一人、命に関わるような無茶をしようとしている。それを間近で見て
いながら、止めるどころか助言なり、もしかしたら手助けもした、誰か。
___そのヒトには“事情”がわかっていたんだよな。タカシが転生した魔物
に会いたくて、無茶なことしようとしているって、知っていたんだよな。
 コウやレンの口ぶりから、その態度から果樹園の天使は特別な存在なのだと
理解する。そんな大切な天使が恐らく、彼らから見れば未開の地だろう人間界
へ一人、危険を冒して突入しようとしているその傍らにいて、なぜ、そのヒト
は止めようとしなかったのか?
___普通に、人間式に考えたら。やっぱり、何か、メリットがあるから、だ
よな。
タカシが人間界へ行くことで、そのヒトは何らかの利益を得ることが出来る。
だから、止めなかった。手伝った。
___単純だけど。それ以外にない、よな? 得になると思うから、手伝った
んだよな。
デモ。
___タカシは転生した魔物に会いたかっただけだ。他に何かしようなんて、
考えていなかった。
既に知っていること、新たに知ったこと、それらを使って想像してみること。
ごちゃ混ぜのパーツをかき寄せて、瞬一は更に考えてみる。
___ある意味、簡単な話だよな。その時、傍にいて、入れ知恵をしたヒトが
つまり、近頃、魔物が転生したよって、タカシに教えた張本人なんだよな。
タカシの“無謀”に関わった者はごく少数だと思う。
___きっと最小限。そのヒト、一人なんだ。もし、大勢だったら、あいつが
おかしな行動しているって、すぐ感付かれる。足が付くもんな。
コウ達が何より、正体を知りたがっている人物。タカシを唆し、人間界へ進入
するための手伝いをした誰か。
デモ、何デ? 
タカシを唆し、人間界へ送り込んでみたところで、天使である、その誰かには
利益など生じないはずだ。
___天使だもん、お金は関係ない、よな。
ソレニ。
___タカシ本人が罰を受けるんなら、手伝いをしたそのヒトだって、いや、
もしかしたら、もっと重い罰を与えられるかも知れないのに、何で? タカシ
を、果樹園の天使を人間界へ送り込んで、そのヒトにどんな得があるって言う
んだろう?
タカシは瞬一の胸中など知らない顔で、薄い唇を動かし始めた。
「ここへ来た当初、瞬一の留守にテレビを見ていて、不思議で不思議で仕方が
なかった。だって、本当に一日中、ドラマを放送していて、内容は全てあんな
調子で。正直、何が面白いのか、さっぱりわからなかった」

「あんまりわからないから、一日中、眺めていたんです。言葉も覚えられます
し、ね。でも、楽しくはなかった。あんなに濃い、人間的な感情は持て余すと
思いました。神様の前で誠実であれば、ただ与えられた役目を務めればそれで
いい天界の方がずっと良いと思っていました。なのに、段々、そっちの、濃い
感情の方に慣れて、その方が幸せなような気までして来て。振り返って自分の
天界での全てが何だかくすんで、色褪せて、疑わしくなってしまった」
「戸惑っているんだ」
「ええ、戸惑っています」
タカシは一つ、息を吐いた。
「天界にはコウとレン、北側の親玉さんと南側の元親玉さんのような、親友は
存在するけれど、でも、人間が思うところの恋人と言う関係はないんです」
ふいの告白に瞬一は目を瞬かせた。
「え、でも、タカシと魔物さんは恋人同士だったんでしょ?」
「天界の感覚では」
タカシは目を伏せた。
「でも、人間界ではそう取らないぐらいの間柄でした。持って生まれた感覚が
違うんでしょうね、きっと」
「そう、なんだ」
正味、恋人ヤナインヤ。
拍子抜けし、同時に安堵も覚える。これは果報なのかも知れない。喜びさえ、
湧き上がって来そうだったが、気落ちした天使の気持ちを放って置くことは
出来なかった。
「でもさ、魔物さんから見て、だよ? こーゆーのが恋人ってもんなんだって
、タカシと同じように思っていてくれたんなら、問題ないんじゃないのかな?
タカシは天使なんだよ。オレ達、人間の感覚と自分達の感覚を比べて、それで
違うからって気に病むこと、ないんだよ。それぞれでいいんだよ」
「ありがとう。でも、魔物は___」
「魔物は?」
「人間の方に近いんです」
「近い、の?」
「ええ、色々な意味でね」
「色々って?」
「例えば、魔物さんには兄弟がいました」
「兄弟?」
「ええ、瞬一にお兄さんがいるように、彼にもお兄さんがいました」
「魔物さんには親兄弟がいるんだ?」
「ええ。人間が思う、家族の姿とは懸け離れていると思いますけれど」
「仲良く、一緒に御飯食べたりはしないって意味?」
「ええ」
「だったら、うちだって」
「確かに、瞬一の家族も別々に暮らしています。でも、瞬一はいつも御両親に
守られているでしょう? 離れて暮らしていても、瞬一が不自由しないように
御両親は心を砕いてくれているでしょう?」
「金だけだって、考え方もあるよ」
タカシは首を振った。
「根本が違います。魔界では親子であっても、兄弟であっても関係なく、覇権
争いをするんです、命を懸けて」
「覇権? 覇権争いって?」
「今、魔界の最高位は彼の、魔物さんのお兄さんです。魔物さんは、あのヒト
はお兄さんと争うのが嫌だったんです」
「彼は優しいヒトでした。そう知っているのに。なぜでしょう? おかしいで
すよね。死んでしまったヒトの、もういないヒトの気持ちを今頃になって疑う
だなんて。何の意味もない。それどころか、彼を卑しめることにもなるのに。
でも、もし。もし、彼の気持ちが僕の期待して、望んでいたものでなかったと
したら。生まれ変わって、別の人格に変わっている彼を捜し求めること、それ
自体が意味のないことなのではないか。そう思い付いたら、怖くなって。もう
一度、魔物に、彼に会うことが出来たとしても、元通りにはならない。だって
彼には前世の記憶がなくて。今は人間なのだから。その上、もし、思い出して
欲しいと願う、その気持ちすら元々なかったのだとしたら」
「タカシ」
「昔、魔物だった頃の彼は寂しいヒトでした。優しいのに、そのために生まれ
故郷の魔界には居場所がなくて。だから、あんな天界と魔界の狭間で、誰一人
寄り付かないような寂しい所に座っていて、小さかった僕と出会って、助けて
もくれた」
「タカシ、、、」
「大丈夫。翼を“隠した”ことで初めて、人間界に渦巻いている感情の、その
影響を受けました。それで、こんな血迷ったことを言っているだけ。一過性の
ものですから」
 タカシはようやく元通りと思われる視線を取り戻し、きっぱりとした口調で
続ける。
「彼はもう違うヒトなのだと知っています。ただ、彼が今、満ち足りた生活を
送っているのかどうか、それだけは知りたいんです。もしも、恵まれていない
ようなら、ささやかでも力を添えてあげたいし、もし、幸せだったなら」
「幸せだったなら?」
「その時は見切りを付けて、天界へ戻ろうと思います。僕はここに、人間界に
留まる資格を持っていませんからね」
寂しそうだ。そう思った途端、瞬一の口から言葉が飛び出していた。
「オレが立候補する」
 あまりに唐突だったのだろう。瞬一の声に顔を上げた天使は怪訝そうな表情
を浮かべていた。
今、言ワナキャイケナイコトナンダ。
「オレが大人になる。マッハで、今すぐ大人になるから。だからタカシ、もう
ちょっとだけ待っていて。寂しい思いなんか、オレがさせない。だから」
呆気に取られたようにぽわんとした顔でしばらく瞬一を見つめ、それから天使
はゆっくりと微笑んだ。
「ありがとう。でもね、瞬一。光の速さで大人になんかなってはダメですよ。
だって、僕の方が瞬一に追い抜かれてしまうでしょ? 瞬一は人間なのだから
人間の速さで生きて行けばいいんです。でも。ありがとう、瞬一」
彼の方から首に回してくれた腕を拒む理由はなかった。
___コウ君に噛み付かれたら、その時はオレ、頭突きで応戦する。負けない
から。
ダカラ。
今ダケハ。
コノ手ヲ離シタクナイ。

 

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