ジャケットを脱ぎ、腕まくりしながらまず、冷蔵庫へと歩いて行く兄の背中
は見ていて、凄く頼もしいように思う。
___やっぱり、背が高いから、かな。
イヤ。
頼もしく見えるのは体形のせいばかりではない。彼がきちんと自立し、自分の
力で生きているからに他ならないだろう。
___オレの後姿なんか見たって、タカシは頼もしいなんて思わないもんな、
やっぱり。
果樹園の天使と一高校生。次元の違いこそあれ、周囲に守られ、育まれている
命であることに変わりはない。
「ちなみにこの献立表、まさか、実行する必要はないんだよな?」
「え、ああ。うん」
それじゃ。
小さく呟いて、兄はレンが冷蔵庫に貼り出したまま、出掛けた一週間分の献立
表をピリリと破り取り、軽く丸めてゴミ箱に廃棄する。ポイと放られ、緩い弧
を描いてゴミ箱の底に到達した献立表は紙クズと変わった。
アア。
あの一枚のためにレンが要した努力を見て知っている。安売りのチラシの束と
睨めっこしつつ、横から『それはイヤ』だの、『こないだ、食べたばっかり』
だのと、ボソリと、しかし、レンの耳にしっかり届くように呟き続けるコウの
“誘導”を適当にあしらいつつ、ようやく完成させた経緯を思うと少しばかり
瞬一の胸も切なくなる光景だった。
仕方ナインダケド。
作成した側、コウとレンの二人は留守をしていて、帰って来た兄は子供が喜ぶ
ようなメニューは好まない。
___仕方ないけど。でも。元気なのかな、あの二人。
ふと仲の良い二人組が懐かしく思い出される。いつものように賑やかにギャー
ギャーと言い合っていればいい。そう思った。
ダッテ。
それはきっと、天下泰平という意味なのだ。
___結局、どうなったんだろう? 佐原君が言っていた通り、抜き打ち訓練
だったのかな? 何ともないんだったら、そろそろ帰って来るのかな?
アレ?
もしも、近日、二人が人間界に帰って来たなら。
___当然、タカシがいるこの家に帰って来るよな。えっ、そうしたら一体、
どうなるんだ? お兄ちゃんは案外、平気そう、だけど。
チラともう一人、問題を生じそうな男を見やる。
、、、。
ハチャメチャ? 
レンと白石とでは静かな共生など、望めそうにもないのではないか? 
「あ〜あ。結構、美味しそうvなメニュー揃いだったのになぁ」
不満げな白石の声にも、兄は動じない。
「うるさい。オレは食べたくない。あんな油まみれの飯ばっかり。眺めている
だけで太りそうだ」
「わがままだな、まー君は」
「おまえにだけは言われたくないね」
「そぉ? じゃあ、瞬一君。あんた、とっとと着替えておいでよ。制服でウロ
ウロされても邪魔臭いばっかりだからね。で、タカシ」
「はい」
「あんたはまー君のお手伝いだよ。よろしく」
「え、何で? 何でやのん?」
「何でやのんって。何で、それ、あんたが言うのかな? それはタカシが言う
セリフなんじゃないの? 瞬一君」
「そう、だけど」
「ふぅ〜ん。あ、そう? 二人並んでお台所仕事ってゆーのがお気に召さない
んだ? へぇぇ」
瞬一の腹の内を読み、その上で、絶対に意地悪で白石は言っている。
間違イナイ。
嫉妬ではないと言い返せず、唇を噛む。
「さて。オレはちょっとメールのチェックでもして来ようかな。注文、入って
いるかも知れないしぃ」
「社長さんですものね」
「そうなんだよぉ、タカシィ〜」
白石はむんずとばかりにタカシの手を取り、両手で包み込む。
「やっぱりタカシは賢いねぇ。わかってくれるねぇ。いやー、嬉しい。それに
しても、タカシの手はスベスベだねぇ、ふっくらしているねぇ。よっ、さすが
天使」
セクハラヤン? 
睨んでみたものの、白石はへらりと笑っただけだし、タカシ本人も苦ではない
のか、いつもと何ら変わらない。ごく和やかに、仲良く過す二人を前に一人、
きりきりと怒る自分の方がおかしいような気がして来る、そんな始末なのだ。
___こんな時も。二人がいてくれたらな。
レン君ナラ、絶対、撲殺シテクレルノニ。
「じゃ、あとはよろしくね」
「はい」
「はいって、おまえ、出来るの?」
キッチンへこもっていた兄が顔を覗かせる。
「一応、食べられる物を用意出来ます。でも。遅いのかも」
「そうなんだ?」
「あの」
タカシは何事か、切り出して、言い辛そうに口ごもる。
「ああ、カニには触らなくていい。おまえは野菜を切ってくれ。イチョウ切り
って、わかるな」
「はい」
「タカシ、今、露骨に安心したって顔、したね」
白石はニンマリと笑って、まずタカシの顔を覗き込み、次いで、なぜか、更に
意地の悪そうな笑みを浮かべて、瞬一を見た。
___なぜ、そこでオレを見る? 
「そうだよね、タカシってば、カニにビビリまくっていたもんね。可愛いった
ら、ありゃしない」
「だって、大きいし、動くし、泡がぷくぷくしていますし」
「涙目だったもんね」
涙目?
気恥ずかしそうなタカシの様子は大層、可愛らしい。
「可愛い子も大変だよね。タカシが怖がるから、皆、面白がっちゃって、ドン
ドン、店自慢のカニやら、エビやら、とにかくデッカイヤツ、見せに来るんだ
もん。身がもたないよねぇ。終いにはまー君の背中に貼り付いていたもんねぇ
? あれ、タカシ? 真っ赤になっちゃった」
「おい、ブゥー。メールはいいのか? こっちはだしの支度、出来たんだけど
?」
兄の助け舟にタカシはすかさず、逃げ出すようにキッチンへと歩き去る。
「あ、逃げられた」
さすがに動きの鈍いタカシを追ってまでからかうつもりはないようだ。
「泣くまでやるなよ」
「泣いてないじゃん?」
「だったら、さっさと用事を済ませな。こっちは早いぞ」
「了解」
「瞬一も」
「うん」
「まー君のカニすきは美味いよ。おばちゃま仕込みだからね。雑炊楽しみv」
「興奮し過ぎなんじゃないの、おまえ」
「だって、久しぶりじゃん?」
「そんなもんかね」
冷ややかに白石を一瞥し、兄は再び、キッチンへ戻って行く。
「さて、オレ達も急ぐぞ。遅れると怖いからな」
「うん」

 バタバタと着替えを済ませ、戻ってみると、既に食卓には大きな皿が幾つも
並べられていた。後部座席を占領していた箱やビニール袋の中身が勢揃いして
いるらしく、一つ一つが新鮮そうで、とても短時間に用意されたとは思えない
出来栄えだ。
「凄い。美味しそう。お店みたいや」
これなら、白石が兄を板さんと呼んでいたのも頷ける。
___和食のお店、やれそうやもん。
「瞬一、鍋、持って行くから、火を点けといてくれ」
「うん、わかった」
卓上コンロに火を点けると同時に兄が土鍋を持ってやって来た。その後ろから
タカシが邪魔をしないように、といった様子で付いて来る。
「ブゥーさんは?」
「まだみたいやけど」
「放っておけ」
「まー君、冷たい!」
息を切らし、ドタドタと白石が駆け込んで来た。どうやら自宅まで駆け戻り、
パソコンをチェックして来たらしい。
「はぁ。想定外だよ。今日に限って、本当にメールが溜まっていた。シャレに
ならなかった。さすがに返事までは書けなかった」
デモ。
ふと、思い付く。
「今時、携帯でチェックすればええ話なんやないの?」
「あーっ!」
「おまえ、時々、本当に馬鹿になるよな、ブゥー」
「わかってんなら、教えてくれればいいじゃん? この根性悪!」
「御挨拶だな。せっかくおまえが珍しくも外を走るチャンスを得たのに、邪魔
しちゃ、悪いだろ?」
「何で?」
「ダッシュは効くって、昔、体育の何とか先生がおまえに言ってたじゃん?」
「またムカつく話を。あ、わかった。オレがタカシをからかったから、だな」
「えっ、そんな心当たりがあるんですか? 白石さん」
「むっ。感じ悪ぅ。さ、気分転換しよっ。御飯だ! 御飯!」

 

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