日々は妥当に、順当に過ぎて行く。
『学習塾行くのに送り迎え兼ボディーガード御同伴だなんて、さ〜すが岡本の
お坊ちゃま。よっ、瞬一。よっ、特Aコース。めざせ、日本の開業医。ペット
産業の未来は明るいって言うから、末はボッタクリの名医だな。よっ、次代の
セレブ! はぁ。そう言えば、オレも昔、引きこもりになる前は地道にバスに
乗って、せっせと通ったもんだよ。雨降りは傘、差して。風の強い日なんか、
ヨロッとか、なりながらさ』
ソレハナイ。
アンタダケハ、ビクトモセンヤロ?
一人、腹の内で突っ込みを入れつつ、卵焼きを頬張る。
『あ〜あ。あれから幾星霜。時代が違っちゃったのかなぁ。ねぇ、まー君v』
憮然とした様子で兄が味噌汁から視線を上げた。
『言葉の端々に色んな含みがあるように聞こえるんですけどねぇ、白石君』
『ええっ、そんなことはないよぉ、ねっ、タカシ。まー君の過剰反応だよね。
あれっ、過剰反応って? てことはぁ。まー君的に何か、思い当たることでも
あるのかなぁ、個人的に。ねぇ、タカシ?』
『あの、別に』
『一々、絡むなよ。タカシが困ってんじゃねーか。戯言を振ってやるなよ』
『へぇ。本当、まー君って、タカシには優しいよね。帽子も買ってあげたし、
杖も用意してあげたし、新しいエアコンも付けてあげたし、色々、気が利くよ
ね。至れり尽くせりだよね』
どうやら、白石はヤキモチモードに入っているらしい。
『何日も前のこと、蒸し返すなよ』
そう。あの日、兄がタカシを外へ連れ出したのは気分転換のため、ばかりでは
なかった。業者を入れて、防犯対策の工事をし、更に祖母の部屋だった和室に
新たなエアコンを設置するためだったのだ。
気ノ利イタクリスマスプレゼントヤデ、ホンマニ。
無策の自分を呪いながら、手渡された真新しいリモコンを不思議そうに眺める
タカシの様子を思い出す。理解した後、白い顔ににじみ、浮かび上がった喜び
は遠慮がちな、しかし、輝かしいものだった。ネオンサインではなく、真珠の
ような笑み。
誰カテ、ウットリスルヨウナ。
『ほら、豚。飯時に百面相なんか、するなよ。タカシが困っているだろうが』
白石は自分の向かい側に座ったタカシを笑わせようとわざわざ、おかしな顔を
作って見せているのだ。
『ブヒッはよせよ、シャレにならないから』
『あーっ。まー君ってば、酷い。ブゥーは豚だけど、でも、目がクリクリして
いて、超可愛いって思っているく、せ、にぃ。そうだ。オレがタカシばっかり
構うから、本当はやっかんでいるんでしょ? まー君、寂ちぃ?』
『おまえ、それ、正気で言っているから怖いよな。いや、怖過ぎるよな』
『ええーっ。オレとまー君は禁断の仲じゃん? 他人のふり、するなよな』
『どんな仲だよ? この薄ら馬鹿』
『あっ、タカシがちょいとウケている。やったー! このネタは使える。ね、
まー君』
『そんなのいいから、とっとと食ってしまえよ。冷めるだろ?』
『素直に温かい内に食べてねって、そう言えばいいものを。ねぇ、知っている
? タカシ。この人ね、強面を気取ってんだよ。無理しちゃってんの』
『うるさい』
『照れてる。赤くなってるぅ』
クスクスと笑うばかりのタカシをチラリ、と横目で見やり、瞬一は炊き立ての
御飯をかき込んだ。
 タカシは元々、人間相手に雄弁に語ることはないし、同じ天使であり、気心
の知れたコウやレン相手にも、そうそう多弁な方ではなかった。そんなタカシ
が最も楽しげに、口数多く話す相手と言えば。コウが天界から持ち込んだあの
花くらいのものだった。だとすれば、白石と兄の若干、子供じみた言い合いを
微笑みながら、ただ眺めているだけのこの光景はそう不可思議なものではない
はずだ。お品の良い彼には元々、大声を上げて騒ぐ習慣がなく、兄と白石には
誰にはばかることなく会話する信頼関係がある。そんな三人が一緒にいれば、
二人が話し、一人がそれを微笑んで見守る光景は至極当然のものに過ぎないの
かも知れない。
デモ。
『あれっ? 瞬一?』
立ち上がると同時に白石が声を上げた。
『あんた、朝から微妙に膨れっ面だね。いつも寝起きは悪い方だけどさ。新年
早々、一月四日から塾に行くのがそぉんなに嫌なの? でも、いくらなんでも
早いよ? お代わりして行きなよ』
白石には首を振って返す。もう一頑張りを惜しむつもりはない。獣医になる、
その目的を得た今となっては一刻も早く受験し、合格したいくらいなのだ。今
更、塾通いが面倒だとごねるつもりはなかった。
『瞬一?』
『何でもないねん』
心配そうなタカシの視線に気付き、ばつの悪い思いを振り切るように急ぐ。
『見送りなんて、ええよ。ゆっくり食べとって。じゃあ。行って来ます』
『あ、はい。行っていらっしゃい』
『御機嫌斜めだね。難しいお年頃ってヤツなのかな?』
『茶化すなって』
『だって、面白いじゃん』
『おい』
そんな白石と兄の会話を背に送り出されて、向かった塾の帰り。

「立ち寄る所がありましたら、おっしゃって下さいね」
今夜も年末、最終日と同じようにそう言われ、頷いた。彼は運転席に、瞬一は
助手席にと隣り合って座っていながら、名前も知らない若い男。しかし、いざ
と言う時にはその彼が瞬一を守ってくれるらしい。いざと言う時。それを想像
すると、さすがに気が重くなる。傍らの若い男に隠れるように一つ、ため息を
吐き、車の振動に身を任せながら考える。レオは何を望み、瞬一を訪ねて来た
のだろう? 大体、病身のレオはどうやって連日の寒さをしのぎ、過している
のか? 昨日までの正月三が日。レンが発注していた中華お節セットに加え、
新たに兄が作ってくれた料理をたらふく食べ、瞬一は満腹の日々を過していた
。その頃、逃亡中のレオはどうやって空腹を満たしていたのだろう? レオは
生まれた時には既に父親に逃げられていて、父親の記憶はないらしい。女の手
一つで頑張っていた母親も数年前に亡くし、自身は悪性の腫瘍に侵されたレオ
と言う男。そんな彼が瞬一を相手に何を言おうと思い立ち、わざわざ自宅まで
訪ねて来たのか。
___お兄ちゃんの口ぶりだと。ずっと昔にも家まで来たことがある、んだよ
な。見た感じが似ているから、記憶に残っていたって話だったもんな。
デモ。
一体、何をしに? 
___オレに用があるんだったら、オレがいる時に来なきゃ、意味がないのに
? 何を言いたいって言うんだろ? 普通、不服があるのはオレの方じゃん。
散々、意地悪しといて。
レオのことを思うと、気が滅入る。思わず、漏らしたため息に運転席から声が
掛けられた。
「コンビニでも寄りましょうか? 雑誌を見たり、買い食いしたりって、結構
な気分転換になりますよ」
「そう、ですよね。じゃ、お願いします」
「はい」
せっかくの気遣いを無駄にすることはないだろう。それにこの際だから、何か
買って帰ってもいい。考える。兄の料理は玄人はだしだが、未だ食卓に上って
いない冬のメニューがあるではないか。
___そうだ。おでん、買って帰ろう。レン君がいない隙に。
『肉まん、あんまんはいいけどさ、おでんはダメだからね。あんな四六時中、
人が土足でウロウロしている所に蓋なし、放置プレイなんだよ。あり得ない。
二十四時間、お鍋いっぱいに埃が降り注いでいるんだと思うと、ゾッとしちゃ
うもん。絶対、食べられない』
『でも、レン君。レン君、バイトしとる時、普通に売っとるやん? コンビニ
勤務なんやもん』
瞬一の指摘にレンはニッコリ、と店頭にいる時の笑みを作って見せた。
『だって、商売だもん。当ったり前じゃん?』
そう胸を張られ、唖然としたことを鮮明に覚えている。
___可愛い悪魔って、あーゆーのを言うんだろうな。実際は天使だけどさ。
ハァ。
二人組の天使と果樹園の天使のセットを人間である自分が見ていた、あの頃が
懐かしい。
___そうだよな。あれなら、新参者には割って入れない世界もあるんだって
納得出来たけど、でも、お兄ちゃんとブゥーさんとタカシの三人をオレが見て
いるって今の状況はどう考えても、おかしい。二人がオレとタカシは仲が良い
んだな、羨ましいなって、うっとりと見るんなら、わかるけど。
知り合って日が浅いにも関わらず、三人は存外に仲が良い。今朝だって、自分
一人、蚊帳の外なのではないかと邪心し、不機嫌になってしまったくらいなの
だ。
ハァ。
___オレって、低レベルだ。お子様だよな。タカシは何も変わっていないの
に一人でブルーになっちゃって。
こんな時、コウやレンがいてくれたら、天使らしいアドバイスをしてくれたの
ではないだろうか? そう考え、次いでクスリと笑う。
___どうせ、甘いことは言ってくれないか。南ッ側の天使って言ったって、
スパルタ系だもんな、二人共。
音沙汰のない二人は今も天界にいるのだろうか? 
___やっぱり、“大変なこと”になっているのかな? 
レオのことも、天界のことも、瞬一がいくら気を揉んだところで何の手助けに
もならないことだろう。ならば。せめて、レオが行き倒れとはならないように
祈るばかりだ。
___オレって冷たいのかな? やっぱ、冷たいか。でも、一番、冷たいのは
絶対、佐原君やで。せっかくこの不精な、親にもなぜ、電話して来ないって、
正月早々、叱られるのんが電話したのに、『あー、今、忙しい。バイト中なん
だ。ブツン』やで? 沖縄に旅行に行って、何でバイトしとんのや。アホ。
今なら、是が非でもコウやレンに会いたい。ちょっとくらい突っつかれても、
意地悪を言われてもいい。二人に会って、話がしたい。
___何か、無性に二人に会いたい気分なんや。おセンチになっとるんかな、
オレ。
コンビニの駐車場に滑り込む車の窓から見える若者が皆、コウやレンに見える
始末なのだ。
___そう、ちょうどあれくらいの、今時、小ぶりな背格好の。痩せていて、
オシャレで。ちょっと目つきが怖いのと、愛想が良いのが不思議に仲良しで。
、、、。
「止めて!」
返事も待たずにドアを開ける。
「坊ちゃん!」
運転手の悲鳴には構わない。止まりきらない車から飛び降り、見とがめた二人
組に瞬一が目をやると同時に、その二人は走り出した。
「コウ君! レン君!」
 声が届かなかったはずはない。それにも関わらず、たったの四、五メートル
先にいた二人は猛然と走り、駐車場を駆け出して行ったのだ。精一杯、二人の
名を呼びながら後を追った瞬一に追い付けるようなスピードではなかった。
「何でやねん?」

 

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