今朝。優しい笑顔に見送られ、勇んで出向いた試験会場。
自分デ言ウノモ、ナンヤケド。
会心の出来だったと言えるのではないか? 講師達と自己採点をし、太鼓判を
押されて、すっかり気を良くし、意気揚々と我が家に戻って来た。
「ただいま」
張り切って、玄関ドアを開ける。しかし、そこにタカシの姿はなかった。
アレッ? 
タカシの所在を確認すべく、バッと視線をやる。すると、二本の杖は定位置に
立て掛けられていた。階段で慣れない杖を頼ってはかえって、危ない。そんな
理由からタカシが室内用の杖を使うのは専ら、階下でのみだ。つまり、タカシ
は二階にいるのだろう。
テユーカ。
この頃は寒さを考慮し、あまり出歩かない。当然、外出用の杖にも正味、出番
はないのだが。
___今年は本当に寒いもんな。無理は禁物だよ。滑って、転倒でもしたら、
一大事だし。春まで待てばいい話なんだから。そうだよ。春になれば。
今度は瞬一の真新しい車で出掛けることが出来る。
二人ッキリデ。
「おかえりぃ。遅かったね。ま、いつもよりは随分、早いわけだけど。物音が
したのに誰も入って来ないなと思って見に来てみたら、瞬一が薄暗い玄関先で
にまぁっと不気味に微笑んでいた。ああ、ビックリみたいな」
「茶化さんといてや。試験の後は塾に寄って、答え合わせとか、いろいろする
こと、あるやろ?」
「そう言えば、そんなことをしたよーな気もしなくはない、かな」
白石はポンと手を叩く。
「あー、した。した。やりました。己の凡ミスに気付いて、泣いて悔やむ一時
だね。オレは優秀だったから、凹むまでもなかったけどぉ」
マタ東大自慢カヨ。
「で、瞬一。首尾はどうだった? 手応え、有り?」
「大丈夫やと思うわ」
「ほぉ、自信有り有りだねぇ。ふんぞり返っているもんねぇ。勝ち誇っている
もんねぇ。今、凄い鼻息が来た。オレ、風に煽られて、グラっとかしちゃった
もん」
嘘吐キ。
風速五十メートルでもびくともしまい。そう切り返してやりたいのは山々だ。
しかし、反撃されては自分の方に多大なリスクが生じる。白石はかなり危険な
突進をして来るタイプなのだ。
___足も速いし、怪力だし。意地も悪いし、しつこいし。
ここは敢えて、いつもと同じように聞こえないふりでやり過ごすことにする。
「タカシは?」
「部屋にいるよ」
白石はあっさりと、的確に答える。だが、そんなことは重々、承知している。
瞬一が知りたいのはなぜ、タカシが自分の人生の雌雄を決する大切な日に決戦
の場、試験会場から帰って来た瞬一を出迎えてくれなかったのか、その一点に
尽きるのだ。
「御不満そうですな、瞬一君」
「じゃ、お兄ちゃんは? いるの?」
「ううん。事務所」
「事務所?」
「そう。正確には事務所兼自宅。だって、ここで仕事は出来ないでしょう? 
仕事柄、来客も多いし、商談だからね。それで、まー君、都心にメゾネットの
恰好良いマンション、買ったの。本当は最初からそっちで暮らすつもりだった
らしいけど、あっちが気に入らない、こっちが嫌だって、手直し連発で結局の
ところ、大規模改修工事みたいなこと、する羽目になっちゃって。で、最近、
ようやく住める状態になったらしいの。嫌だねぇ、アーティストってヤツは。
わがままで。あの人の階段の手擦りへのこだわりっぷりは弟には見せられない
よね。教育上、良くないもん。知らない人が見たら、若い金持ちの兄ちゃんが
業者さんを苛めているのかと思われちゃうよ」
きっと。フィギュアオタクのこだわりも相当のものだろうと思ったが、口には
しなかった。
「あれだね、きっと、昔の家チックにするつもりなんだよ、マザコンだから」
「昔の家?」
「この家の、元の姿のことだよ。養子婿が再婚する前に手を入れて、昔の面影
がなくなったから。元々はここ、アールデコっぽい、これが民家なのかよ?な
おかしな家だったの。小ぶりだけど、やっぱ、普通じゃないな、みたいな」
チラと瞬一が見やったブロンズ像。その視線を追って、白石は頷いた。
「そうそう。全部がこーゆー感じだった。ちょっとしたギャラリー状態でさ。
その時はオレも子供だから、単純に面白い家だと思っていたけど、今、大人に
なって思うに。家がそんなで、料理が京都の料亭出身の元板前さんをわざわざ
呼んで習ったって、浮世離れした薄味の本格派じゃ、そりゃ、養子婿も帰って
来なくなるよね。全然、家庭っぽくない。寛げない家なんだもん。おばちゃま
も平たく言えば、超綺麗なロッテンマイヤーさんって感じだったし。甘え下手
って感じ、子供でも何となくわかったもんね。そー言えば。まー君が初めて、
瞬一のお祖母さんが作った生姜焼きかな、食べた時。養子婿が超嬉しそうで、
物凄い勢いでガツガツ食べているのを見て、ああ、これが貧乏人の懐かしい味
なのかって、妙に納得したってゆーか、両親が上手く行かなかったのも仕方の
ないことだったんだなって、承知出来た、みたいなこと、言っていたな」
父親と先妻と兄の、遠い昔の物語。
ダケド。
そんな話を今更、瞬一が聞かされたところで一体、何になると言うのだろう?
白石がどんな反応を期待しているのか、それすらわからない。
大体、何デ試験カラ帰ッタ夜ニ、ソンナン、聞カサレナ、アカンネン? 
白石の意図がわからず、ただ戸惑うばかりなのだ。
「あの」
「ああ、ごめん。ごめん。オレの方が感傷的になっていた。ごめんね。ここ、
オレにとっても懐かしい家だから。姉さんが大変な頃、よく泊めて貰ったし」
きっとそうなのだろう。
___入り浸っとったんやろうからな。
しかし、一体、何をきっかけにして、白石は突然、この家を懐かしみ、感傷に
浸ることになったのか? 
唐突ヤン? 
彼は昨日までごく普通に暮らしていた。
___いや、今朝かて、元気いっぱい、意地悪パワー炸裂やったのに? 
「あの」
「うん?」
「何でブゥーさんがおセンチになるん? 明日も、明後日も普通にここ、来る
んやろ? 普通に明日も来れば、ええ話やん?」
「オレは他人だもん。取り壊す、とかそーゆー話になったら、どんなに不服が
あったって、全く口出し出来ないじゃん?」
「取り壊す? えっ、この家を? ええっ、何でぇ?」
「瞬一が出掛けている間に養子婿から電話があったの。まー君と話していて。
で、まー君が面倒だから、更地にして好きな家を建てればいい、みたいなこと
を言っていて。あ、立ち聞いていたってばらさないでね。嫌われちゃうから」
「それは言わへんけど。何で父さんが? ちーっとも帰って来ぃひんのに」
「歳でも取ったんじゃないの?」
白石は軽口のつもりか、そうサラリと答えて、息を吐いた。
「がらっと様子が変わっちゃうのかもね。瞬一だって、もうじき一人立ちする
し、まー君も出て行くし」
「オレは別に」
「え、ここから通学はきついんじゃない? 朝早く出掛けて、夜も遅い生活に
なっちゃうよ」
「それはまぁ、仕方あらへんやん。遊びに行くわけやないんやから」
「だったら」
白石は不意に瞳を光らせた。
「いっそ、タカシはまー君の新しい家に住まわせたら?」

 

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