佐原のニタリ、と笑う、見慣れた笑み。
デモ。
訝しいと言えば、あまりに訝しい。
あれほど、
『タカシにあれこれ、尋ねるな』
『瞬一の合格が確定するまで接触しない』
そんなことを言っていた彼らがなぜ、今頃、それも、タカシに不審に思われる
ような時刻に、この家にやって来たのだろう? 家に戻れば、さすがにのんき
なタカシも、事情を尋ねて来るはずだ。いや、タカシならまだ良い。それより
先に恐ろしく察しの良い白石が猛烈な勢いで突っ込んで来るに違いなかった。
___何せ、ああ見えても東大出。その上、おせっかいで意地悪やもんな。
夕食後に“子供”が一人、携帯電話を片手にこっそりと、皆の目を盗んで抜け
出したともなれば、彼が見て見ぬふりなどするはずがない。
___一応、お兄ちゃんの留守中は保護者気分のようやしな。確かに何くれと
なく面倒は看てくれてはるし。
白石が瞬一の“プチ”失踪に気付く前に戻る必要はあるだろう。早速、事情を
聞き出したい。しかし、開口一番、聞けば、それで済むという話でもなさそう
だった。車内に漂う空気がいつものそれと異なる以上は。
「あっと。えっと、あの」
切り出そうとしてまごつく瞬一の様子を覗き込む、悪戯っ子のような佐原の人
懐っこい笑みは予想通りと言えるものだが、コウの方があまりに違う。目つき
は厳しいものの、根が優しいコウのコウらしい、独特な気配とは異なる今夜の
たたずまいに瞬一は面喰らった。これでは狭い車中、見ず知らずの不良少年と
肩を擦り合わせているようなものだ。
___変な迫力、出し過ぎなんやもん、このヒト。
こんな時。もう、考えるまでもないことだが。コウがいつもとは違う雰囲気を
醸し出している時。彼は大抵、彼本来の地位に相応しい“何か”を考え、神経
を張り巡らせている。
___オレも十ヵ月とか一緒に過して、もまれて、色々、学習して来たんや。
普通の状態やないことくらい、わかるわ。
一層、硬く身構え、糸口となるものを捜してみる。この狭い、小ぶりな車の中
にあるもの。ヒーターによって暖められた暗がり。人間、天使、駄天使がそれ
ぞれ一人ずつ。そう言えば、もう一人がいない。
「あれ、レン君は? 何でレン君、一緒やないん? バイトなん?」
「まぁな。出来の悪い受験生を一人、抱えていることには違いないからな」
不可思議な言い回しだと思う。コウにしては歯切れが悪い。少なくともレンの
ことなのだ。魂の片割れであるコウなら何の遠慮もなく、我が事のように何を
言い放っても、むしろ、それが当たり前のような気がする。
「あ。でも。確か、合格発表の後に連絡くれるって言うとったのに、何で?」
「おまえに」
コウは一旦、開いた口をすぐにまた閉じた。
「おまえに何なん?」
「おまえに一つ、頼みがあるんだ」
「頼み?」
よほど言い辛いことなのだろうか? 薄明かりの下、それでもコウの小さな顔
に浮かんだ苦渋は見て取れた。
「どないしたん? 遠慮するなんて、コウ君らしくないよ?」
「おまえ、タカシを外へ連れ出してくれないか?」
思いつめた表情と低く抑えた声音から、よほどの難題を言い付けられるのだと
身を固くした。しかし、その想像と実際に言い付かった内容との乖離にしばし
瞬一は反応出来なかった。
「えっ?」
「敷地の外に連れて来てくれれば、それでいい。一歩分でいいから、岡本家の
敷地から出せ。後はオレがやる」
「オレがやるって? 何の話、しとんの? 用があるんなら、連絡すればええ
話やん? タカシの携帯の番号、知っとるやん? 第一、そこにおるんやで?
顔、出せばええやん? 久しぶりやもん、タカシかて、コウ君が顔出したら、
喜んでくれるで?」
「うるさい。おまえはオレに言われた通り、やればいいんだ」
「そんな言い方せんかて___」
「コウ。腹を割って、いっそ本当のことを説明した方がいい。子供って言った
って、こいつは賢い。事情が呑み込めれば十分、理解も出来るし、協力もして
くれるだろう」
「お気楽なこと、ぬかしてんじゃねーよ」
コウは声を荒げた。
「人間がどれ程、欲深で、自分勝手な生き物か、あんた、オレ以上によぉぉく
わかってんじゃねーかよ? こいつだって、確かに結構、良い奴だけど、でも
所詮、人間の端くれなんだぞ? 見かけはぼさっとして人畜無害っぽいけど、
でも、中身は当たり前に人間なんだ。強欲で、自分の欲しい物は絶対、欲しい
し、自分の物は滅多なことじゃ、手放さねぇ。こいつだって、そうだ。オマケ
にこいつは特別、頑固だからな。こんなガキンチョに打ち明けたって、はい、
そうですか、わかりました、協力しましょうなんて、そんな素直に従うはずが
ねぇ」
散々な言われようだと思うが、コウにここまで言わせる理由があるとすれば、
それは一つしか考えられない。
マサカ。
自分の思い過ごしてあって欲しい。息を詰め、そう切に願う。
「馬鹿。そのガキンチョにもう、気取られているじゃねーか」
佐原に指摘されて、コウも大人しくなっていた。
 車中に訪れた沈黙が意味するところを瞬一は考えたくなかった。自分の短絡
な思い付きであって、とんだ見当違いだと、二人に笑い飛ばして欲しかった。
だが、瞬一自身、妙な感触が、それも脳のどこか、普段、使っていないような
深い所で何かが跳ね動いているような、一時も安心出来ない心地悪さを覚えて
いる。この直感は外れていない、そう、感じ取るのだ。
「そうだな。外れちゃいねぇな」
佐原の落ち着いた声が車内に広がって、暗がりに溶け込んで行く。
「命の危険が近付いた時、ピンと来る人間が偶にいるって言うからな。そんな
もんなんだろうな。何せ、タカシ大好き! タカシラブ!なおまえの前から、
その大好きなタカシ本人を連れて行こうとしているわけだからな」
やはり。
デモ。
「何でやねん? 何で? だって、オレの合格発表の日までは、少なくとも、
その日までは何もしないようなこと、言うとったやんか? だから、オレにも
何も言うなって」
「出来れば、おまえの合格発表って、晴れがましい時まで待ってやりたかった
んだけどな、オレも、コウも」
佐原はコウを気遣ったようだ。
「約束を反故にすれば、おまえが傷付くと案じはした。だがな。もし、タカシ
を奪われて、おまえが心に深い傷を負ったとしても。おまえの心の傷はおまえ
が真面目に生きて行けば、それがどんなに深い傷であっても、やがて癒される
だろう。日々の楽しみが彩ってくれれば、例え、その奥に傷は残ったままでも
、人間って生き物は前へ進んで行ける。案外、丈夫で、面白い生き物だって、
褒めているつもりなんだが。そこのところ、わかってくれるんだろう?」
「悪いけど、今、そんなん、受け入れる余裕、ないねん。オレはタカシと一緒
におりたいねん」
「そりゃ正直で、結構だ」
佐原はごく小さく笑ったようだ。
「どの道、おまえはお別れしなくちゃならない。ずっと一緒にいられるはずが
ないんだからな。だから、その日が少々、早まったと理解してくれ」
「だから、何でやねん? オレかて、いつかはタカシとお別れせな、あかんて
わかっとる。でも、いきなり___」
「おい」
不意に割り込んで来たコウの低い声に瞬一は振り向いた。
「何?」
「おまえさ、オレ達以上に“わかって”んじゃねぇの? オレ達が急くように
なった事情ってヤツをさ」
コウの指摘に即答は出来なかった。心当たりがないわけではないのだ。
___でも、確証やない。そうと決まったわけやない。
「果樹園の天使を、“魔物”と一緒に置いておくわけにはいかないんだ」
ヤッパリ。
デモ。
「でも。待って。お兄ちゃんが魔物の生まれ変わりってヤツだったとしても。
しても、だよ? 今、生きているお兄ちゃんには昔の、自分が魔物だった頃の
記憶なんて、ないんやで? そやったら、別のヒトって言うたかて、間違いや
ないやん?」
「確かにな」
佐原は考えるようなそぶりを見せた。
「でもな。話はそう簡単じゃないんだ」
「どういう意味?」
「先ず。そうだな。何でコウがおまえにタカシを連れ出せと言ったのか、その
辺りから考えてみろ。普通に考えれば、おまえの言った通りさ。コウが直接、
出向いて、ちょっと外に出ようと言えばいいんだ。元々、コウとレンはタカシ
の可愛い弟分で、コウの誘いなら、タカシが断るはずはない。オレが電話して
も、同じだろうがな」
「そ、やね」
「ところがオレ達はそうしなかった。いや、出来なかった」
「何で?」
「あの家に入れないから」
「入れない?」
「ああ。それどころか、中の様子さえ、見えない。ありえない。他の家なら、
中に何人がいて、今、どんなことを考えているって、読もうと思えば、大抵、
何でも手に取るようにわかるっていうのに」
「それって、やっぱり何らかの手と言うか、何かが施されているからってこと
?」
「ああ。そうだな。西ッ側の奴らが張ったおかしな結界に遮られているんだ。
中も見えないし、それどころか出入りすら、ままならない」
「入れへんの? 何で? 結界ってゆーのを張ってくれたってゆーのはタカシ
に聞いたから、知っとったよ。でも、それって皆が天界に引き揚げている間、
用心にって、魔物対策に用意してくれたんであって、天使のコウ君が入れへん
ような、そんなもんやないやろ?」
「入れねーから、こんないらついているんじゃねーかよ。おまえみたいなガキ
ンチョ相手にキリキリしたくて、してんじゃねーよ、このボケデコが」
コウも随分、調子が戻って来たようだ。
イツモノ調子ヤン? 
それにしても。
西ッ側の天使が同じ天使を拒む結界を用意した、その意図は瞬一にもやはり、
量りかねた。
___だって、タカシを守るためのものやもん。仲間の南ッ側の天使が出入り
出来な、困るやん。
「それも意味、わからへんけど。でも、それとお兄ちゃんに何の関係があるん
? お兄ちゃん、西ッ側の天使なんか、知らへんやろ?」
「そうかもな。だが、そこにもう一枚、タカシより前に人間界に堕ちていた、
その果樹園の天使が絡んだら?」
佐原の質問がわからない。
「どういう意味?」
「結局、おまえの推察通りなんだと思うよ。果樹園の天使が既にいる所に魔物
の粉砕された魂が降って来た、そんな感じなんだろう。で、その内の一欠片が
再生されたのか、二つ、三つ集められて、復元されたのか、わからねぇけど、
でも、その結果、魔物の魂は甦ったんだと思う」
「記憶はないって言うとるやん?」
「そんなこと、わからねぇだろう。オレ達も、おまえも果樹園の天使じゃねぇ
んだから」

 

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