___コン、コンって。何?
絶句する。第一、なぜ、そこにレオが立っているのか、それが全くわからない
のだ。
ダッテ。
彼は“先”のない癌患者であると同時に、警察に追われる身でもあるはずだ。
追われる原因となったその現場に、ましてや、瞬一の前に直接、現れるなどと
は想像もしていなかった。それに。
モシ。
___オレに言いたいことがあったとしても。例え、それが言えず終いでも。
でも、結局、諦める。いや、諦めざるを得ないんだろうなって、思っていた。
送り迎えされ、守られて、安心して過す内にそうタカを括ってしまっていたの
かも知れない。自分の傍らの窓を叩かれたコウは当然、その窓を開けてやる。
明らかにレオはドライバーに用があって、窓を叩いたはずだからだ。
「はい?」
「すみません。車が通れないんですけど」
「ああ、すいませんね。路駐、ですもんね。通れません、よね。すいません。
今、退けますんで」
「こちらこそ、すみませんけど。よろしくお願いします」
目の前で当たり前の会話が交わされている。
「じゃ、お願いしますね」
ペコリと頭を下げて、レオはすぐにコウが動かすだろう車を避けるべく、後退
する。呆気に取られるほどごく普通の、いや、今時、礼儀正しいくらいの振る
舞いだ。とてもタカシを騙し、家に上がり込んだ挙句、よりにもよって果樹園
の天使の、気の優しいタカシの首を絞めた張本人だとは思えない穏やかな言動
に瞬一は戸惑った。荒んだ生活を送る若者、暴漢という、警察から聞かされて
描いていたイメージと実際のレオはあまりにもかけ離れているようなのだ。
___ちゃんとしているし。あ、そうだ。
 車。瞬一と同い年のレオが運転しているのなら、不自然な事態だと気付く。
通学せず、働いているのだとしたら、誕生日と同時に免許を取っていたとして
も不思議ではない。だが、レオの誕生日は瞬一より、ずっと遅かった。どうせ
なら、もう数日遅く生まれてくれれば、同じクラスにはならずに済んだのに。
そう考えたことがあるから、よく覚えている。つまり、未だ十七歳の彼が免許
を持っているはずがないのだ。そうなると、レオは誰かの車に同乗して、そこ
まで来たことになる。だが、一体、誰と? 逃亡中のレオが同乗する相手とは
一体、誰なのか? 好奇心から振り返り、瞬一は自分の目を疑うことになった
エエッ? 
瞬一を乗せたまま、コウの水色の車は動き出す。だが、改めて、見直すまでも
なく、間違いなくそれは兄の銀色の高級車だ。
何デ? 
「おまえの兄ちゃんってば、何、考えてんの? あいつ、タカシの首を絞めた
極悪人だろう? 何で、そんなのと一緒にいるのさ? 頭、おっかしいんじゃ
ないの?」
怒り雑じりのコウの甲高く、次第に早まる口調に負けてはいられない。瞬一と
て、この展開は予期しない、青天の霹靂なのだ。
「知るか! 自分で“読んだら”ええやろ? 大体、常々、覗き放題やって、
威張っとるやんか? 覗き魔のくせに」
「おいっ。人聞きの悪い言い方、すんなよな。大体、全部が全部、丸見えって
わけじゃねぇし」
「ええっ! 見えへんこともあるん?」
「たまには、な」
佐原が後ろから口を挟んで来た。
「最初に“触れた”時にあ、ダメだって、思ったら最後、もう二度と、触れて
読む気がしなくなることもあるし、希には全く読めない人間もいるんだよ」
「お兄ちゃんは、どっちやってん?」
「前者。だろ?」
コウは小さく頷いた。
「お母さん、お母さん、お母さんって、瀕死の母親を呼ぶ声が聞こえちまって
さ。それ以上はもう見られなかった」
瀕死の母親。兄の母親は交通事故で死んでいる。それは祖母と同じ死因のよう
だが、事実はかなり異なっている。祖母は打ち所が悪く、彼女の内臓の元々、
弱い部分にダメージを負い、それが要因となって死に至ったが、幸い、容姿を
損なうことはなかった。
デモ。
『母親の割れた顔を見たら、性格も変わるよ』
兄はそんなことを言っていなかったか? 
___お兄ちゃんのお母さんなら、さぞかし綺麗な人やったやろうに。
「やっぱり、自殺だったんやね」
「事故だよ」
コウはそう言いながら、少し進んだ先で車を止めた。ここからなら、どうにか
自宅前の様子が窺える。
「でも、良い大人が自分から道路に飛び出したんやもん。やっぱり自殺やろ」
「いいや、違う。だって、事故だって、そう言ったんだろ、おまえの兄ちゃん
が」
「そうやけど」
「それってさ、おまえへの気遣いなわけじゃん? ありがたく受け取っておき
なよ。せっかくなんだからさ」
「うん。そうやね」
「それはさておき」
佐原に促されるようにして、一斉に振り返る。兄の車がするり、とガレージに
納まって行く。レオはどうやら、兄が降りて来るのを待っているらしい。
「思いっきり、懐いているな、おまえの兄ちゃんに」
「嬉しそうじゃん?」
「うん。そやね」
「あの分じゃ、おまえがここにいるのにも気付いていなかったんじゃねぇ?」
「そうかも知れへんな」
レオは楽しげに兄に付いて、瞬一の家へと入って行く。
「タカシ、ビックリせな、ええけど。そうや。オレ、行ってあげなきゃ」
「待てい!」
慌てて、飛び出して行こうとする瞬一の肘をコウが掴んだ。
「放してや」
「ダメだ。おまえ、未だ、段取りがわかってねぇだろうが?」
「段取り?」
「言い方が違う、か。日本語はやっぱり、今一つ、使いこなせねぇな。まぁ、
いいや。とにかく、おまえはタカシを連れて出て来い。出来れば、今すぐに」
「嫌や」
「何で即答なんだよ?」
「だって、タカシを連れて行くつもりなんやろ?」
「仕方ねぇだろ? 悪用されるようなことになったら、取り返しがつかねぇん
だから」
「悪用って、お兄ちゃんに何が出来るって、言うねん? 今は普通の人なんや
で? 何でレオ君と仲良しなんか、そこのところは全くわからへんのやけど。
でも、本当はムカつく存在のはずの、オレにも気ィ遣って、優しくしてくれる
人なんやで? 問題あるはずがないやん?」
「そうかもな。だけど、この世界のどこかにもう一人、果樹園の天使がいて、
更にタカシまでいたら、何が起こるか、わからねぇだろ? 考えてもみろよ。
絶対に復活出来ないはずの、粉々に砕かれた魂が再生して今、そこで暮らして
んだぜ? おまえにだって、この異常性が、危険性がわかるだろうが」
「そんなん、ただの取り越し苦労かも知れへんのやろ? それにな、そんなに
言うんやったら、その、先に堕ちとった方の果樹園の天使を捜したらええやん
? 大体、天界がそのヒトをちゃんと捜してあげへんかったから、こんなこと
になっとるんやろ? ケガしとるってわかっとって、ずっと放置しとったから
なんやろ?」
「何だと? 生意気だぞ、こら」
「耳の痛い話だよな」
佐原の静かな口調に興奮し、立ち上がりかけていたコウもドライバーズシート
に座り直した。
「おまえの言う通りだよ、瞬一。天界は無慈悲だった。だがな、禁忌を犯した
のは彼だ。その彼がどんなに辛い思いをしていても、天界と言う所は決して、
救いの手を差し伸べないんだ」
「何で?」
「そーゆー社会だからだよ」
「答えになってへん」
「おまえの若さが羨ましいね」
佐原は本気でそう思っているのか、一つ、重いため息を吐いた。
「天界では与えられた使命を放棄することは絶対に許されない。それは神への
裏切りと同義だからだ。だからこそ、何人も、そのヒトを助けてやれなかった
んだろう」
「そのヒト、今もどこかにおるんやろ?」
「ああ。自分で消滅することが出来ない以上、どんな姿に変わっていようが、
間違いなくいるはずだ。なのに」
「なのに?」
「オレは一度たりとも、遭遇していない」
ハッとした表情でコウが顔を上げる。その様子を見て、瞬一は重要なことなの
だと察し取った。
「どういうことなん?」
「堕天使は同じ時間、同じ場所に長く留まることが出来ない。今、オレがここ
にいるのは明らかにタカシの持つ力の恩恵だろう。果樹園の天使がいるから、
オレはここにいることが出来る。裏返して言うなら、オレはその、先に堕ちて
いた方の、果樹園の天使とどこかで出くわしていたはずなんだ」
「堕ちてはいても果樹園の天使には違いない。だから、共に人間界にあれば、
必ず、あんたは“そっち”に引き寄せられたはず、だと?」
コウの質問に佐原は頷いて返す。
「ああ。翼を焼き落としていても、やはり、並ではない。果樹園の天使だから
な。オレが生まれ変わる度、その都度、遭遇する可能性はあったはずだ」
「なのに、一度たりとも出逢わなかった、、、」
「そう。気配を感じたこともない。今、思えば、だが、オレも潜在的に多少は
“避けて”いたのかも知れないし、向こうがそうしていたのかも知れないが。
だけど、それを差し引いてもやはり、面妖だとは思わないか?」
コウは思案する。
「それって」
「そういう可能性も否めないってことだろう」
「でも、まさか」
「ちょっと待ってや。二人だけで話、進めんといて。そんなんやったらオレ、
何もわからへんやん」
瞬一が堪らず、割って入ると、佐原は薄く笑って見せた。

 

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