「そうだったな。いくらなんでも、これじゃ、おまえにはわからないよな」
およそ彼らしくない、暗い笑み。その底にこそ、事態の深刻さが窺えるという
ものだった。
「あのさ、タカシが庶務の奴らや西ッ側の連中に協力させて作っていた地図が
あっただろう?」
「うん。あった。あった、けど?」
国境のない、白い地図。その上に散らばった点を瞬一は怪訝に思い、見つめた
ことがある。しかし、その地図が今、一体、何を意味すると言うのだろうか? 
「あれ、何のことだか、わかったん? 今、意味のあることなん?」
「オレはタカシ本人じゃないから、正確にはわからないことだが。それでも、
たぶんな。あれは先に堕ちていた、果樹園の天使の足取りを追っていたんだと
思うよ」
「足取り? 伝承話がどうとか、じゃなくて?」
___魔物の思い出をなぞっていたわけでもなくて? 
さすがにその問いは呑み込んだ。
「ああ。果樹園の天使が地上にいれば、奇蹟が起こる。当然だろう? 何せ、
ありがたい存在なんだからな。おまえだって、近頃は救急箱の蓋すら、開けて
いまい」
「そっか。そのヒトも周りに影響を与えとった。それが大昔の奇蹟の物語の、
元になっとるかも知れんのやな」
「ああ。つまり、タカシは各地の不可解な話、過去の伝承話を集めることで、
そのヒトの足跡と言うか、痕跡を捜していたんじゃないかと思うんだ」
「捜すってことは。じゃあ、タカシはそのヒトを捜して、助けるつもりで? 
あっ。もしかしたら、最初からそのつもりで人間界に来たんやろうか?」
「そうかもな」
佐原はふと、遠い所を見たようだ。
「案外、それがメインで降りて来たのかも知れない。正気でまた、魔物と再会
出来るなんて、信じていたかどうかは微妙だからな。“あいつ”が何を言って
唆したのかは知らないが、タカシだって、馬鹿じゃない。今度、掟を破ったら
どんな目に遭うか、わかっていたはずだ。それに」
「それに?」
「自分の浅薄な行動が他の果樹園の天使に及ぼす影響を考えないはずがない。
仲間への締め付けが一層、厳しくなるような真似、そう簡単にやるはずがない
だろ? 土台、優しいし、賢いヒトだからな」
「じゃ、親玉は一体、何を考えて? 果樹園の天使に、元果樹園の天使の救助
でもやらせるつもりだったのか? 自分が降りられないから?」
コウの抑えた、しかし、怒りを含んだ声音に耳を傾けながら、瞬一も考える。
天界にあって、しかも地位の高い北ッ側の親玉ともあろう者が魔物とタカシと
の再会を願い、協力するはずなど、絶対にない。
___そこを考えたら。普通。
やはり、大ケガを負ったまま、永久に放置されている状態にある、もう一人の
果樹園の天使を助けるため、だったのだろうか? 
「タカシなら、そのヒトを捜すのも決して、不可能なことじゃないよな。二人
が同じ次元にいさえすれば、やがて、互いを引き合うことは想像に難くない。
ただ」
「ただ?」
「タカシには救助そのものは出来ない。天使である以上、多少の傷なら癒して
やれるだろうが、焼き落ちた翼を再生させることはもちろん、そのヒトの傷口
を塞ぐこともままならないはずだ。何せ、時空の綻びに身を投げたんだ。気の
毒だが、正直者にはうぇーって、言われるような姿に変わっているはずだから
な」
「あからさまな言い方、すんなよ。かわいそうじゃねぇか」
「事実だから。遠回しな言い方したって、誰も救われねぇよ」
二人は同じような様子を思い浮かべてしまったのか、そのまま、黙り込む。
「あの」
「何だ?」
「オレはそのヒトより、タカシの心配をしたいんやけど」
「ったく。正直な人間だな、おまえさんは」
佐原はクスリと笑った。
「タカシだけが大事か。だったら速攻、駆け戻って、タカシを連れて出て来て
くれよ」
「それは嫌やって、さっきから言うとるやん?」
「取り返しのつかないことになったら、タカシが嘆き悲しむことになるんだ。
それよりかはおまえ一人、涙を呑んだ方がよっぽどいい。そうは思わないのか
ね?」
「思わへん」
「即答かよ」
「だって、二人がしとる心配にはオレにもああ、そうかってわかるような根拠
が何もないんやもん。佐原君でさえ、会うたことのないヒトやで? タカシも
心配しとると思うし、オレも気の毒やと思うけど、でも、やっぱり正味、関係
ない話やん。それやのに、何でオレがタカシとお別れせな、あかんの?」
「そうだよな」
佐原が不意にニタリ、と笑う。
ウッ。
嫌な予感が瞬時に背筋を走った。
「合格したら、合格祝いの代わりに一緒にドライブに行って貰おう、初めての
助手席はタカシに決定や!とか、申し込み用紙に記入しながら、涎も垂らして
いたんだよな、おませな瞬タンは。恋も初心者マークやvって」
「ええ〜っ。何? 帰り道でわざと迷子になるつもりなの? イヤらし〜い。
信じらんなぁ〜い」
「な、何でコウ君まで乗って来んねん?」
「おまえが生意気だから、だ。馬鹿じゃないの? ド変態!」
「何でやねん?」
「ま、馬鹿話はこれくらいにして。とにかく、おまえ、言われた通りにやって
くれ。頼むよ、瞬一。なっ」
「嫌や」
「おいっ」
「何度、言っても無駄だよ、佐原君。こいつ、本当に頑固者なんだから」
「やっぱり? そーじゃないかと思ってはいたんだけどなぁ」
「どうする? オレ達で何とかしないと」
「強行突破しか、ないか」
「結界さえ、破れれば。中にいるのはタカシと、あとは人間ばかりだからな」
「画家とオタクとヤンキーってヤツか」
「だぁからぁ、人間しかおらんのやで? そやったら、このまま放っておいて
くれても」
「悠長なこと、言ってられねぇって、さっきから言ってんだろうが」
佐原に一喝され、口を閉じた。
「魔物の魂を再生させたかも知れねぇ張本人の、影も形もねぇんだぞ? この
状態がどれくらい、異常なことか、ちったぁ考えてみろ」
「無理だよ、佐原君。そいつは人間だって」
妙に冷静にコウが指摘し、いさめられて佐原は考えるような顔をした。
「どうも結界の傍だと馬鹿になるよな」
「そういうことにしといてやるよ、先輩v」
「おっ、サンキュ〜♪」
「あの」
「何だ?」
「タカシより、先に人間界に来ていた、そのヒト。影も、形もないん?」
「ああ。堕天使のオレが遭遇していないし、南ッ側の天使も全員、噂話すら、
聞いていないそうだ」
「それ、どういう意味なん?」
「まず、考えられるのは誰かが匿っている可能性、かな」
「匿う?」
「人間に苛められたり、傷付けられたりしないように、な。しかし、南ッ側の
天使は天界から生活費を貰って仕事をしている身だ。余分に誰かを匿うなんて
出来ようか。いや、そんな資格はないと言っていいだろう。やれるとしたら、
西ッ側か、庶務の奴らってことになるが」
佐原の目は瞬一には見えない、西ッ側の天使が張った結界を見据えているよう
だ。
「もしも、奴らが結託していた場合、天界的には非常にまずい状態ってことに
なるわけだが」
「でも、待ってよ。どこに匿っていたって、だよ? 身体があれば、佐原君、
出会っちゃうわけでしょ? 同じ次元にいれば、引き合うはずなんだから」
「そうなんだよ。そこが最大の肝なんだよ。いっそ、身体がないんじゃないか
って疑うよな。でも、身体だけ捨てるなんか、天使に出来る芸当か?」
「まっさかぁ。魔物じゃあるまいし」

 

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送