なぜ、曲がりなりにも自分の家で、こうも緊張し、硬直した状態で、一杯の
コーヒーの登場を待たなくてはならないのか? 
___大体、何で、我が物顔でコーヒー、淹れとんねん。ここ、オレの家やで
? あんたの家と違うんやで? 
「これね、最近、流行っているって、有名なお店のガトーショコラなんだけど
ね。もう時間も遅いから、一緒に買って来たクッキーだけにしといた方がいい
のかな? 手土産なんて買ったことがないから、ピンと来なくって。これ一つ
だけ買えば良かったのか、そこのところもわからなくて。前のおばさんが何か
他にも買っていたから、そーするものなのかなぁと思って」
レオが持ち上げて見せてくれた白い紙箱。オシャレな横文字がいかにも流行の
店のものらしい。しかし。
___そんな上辺に惑わされたらあかんって、レン君が言うとった。おしゃれ
な外装と高い土地代をお客が払っとるだけかも知れへんで、って。お金は品質
と技術と誠意にこそ、払うものやって。
真っ当な言い分だと思う。正論だ。だが、改めてそんな感心をしつつ、ふと、
こうやってレン語録を振り返ってみると。やはり、いささか年寄り臭いセリフ
のように感じられなくもない。
___見た目はオレと変わらへんけど、中身はもう、超〜長生きしとるらしい
からな。大航海時代を知っとる世代って言うたら、それは違うのか。どの時代
にも行けるってだけか。天界と人間界って並列やけど、時間の流れ方は違う、
ゆーとったもんな。
そんな見当外れの考え事で精一杯、緊張を紛らわせてみる。どうしても、一つ
だけ、まず解消せずにはおけない疑問がある。それに何より、このリビングに
レオと二人きり、などという御免こうむりたい事態を速やかに解消しなくては
ならなかった。
心臓ニ悪イネン。
「あの、他の人は? お兄ちゃん、とか、皆はどこにおんねん?」
「ああ。柾明さんは二階だよ。仕事のことで電話があって。何か、大きな変更
があるとかで、自分の部屋に戻って行った。外野がいたんじゃ出来ない、深刻
な相談みたいでね。白石さんは急用とかで出掛けては行ったけど、戻って来る
みたいだよ、その内」
「ああ、そうなんや」
実際、瞬一が聞きたいのはもう一人の所在のみ、だ。帰宅時、玄関先にタカシ
の杖は二本とも立て掛けられていなかった。それがどうしても解せないのだ。
二本共あるか、一本しかない。それが通常によくある、正常な状態だと言える
のではないか。
___使っているか、使っていないか。それ以外のパターンはないはず、だろ
つまり、二本ともない、今の状態はかなり不可思議な状態なのだ。
マサカ。
___お花さんに聞くわけにもいかないし。
いかにも、この世の花のような顔でそこで盛りを迎えたまま、いつまでも咲き
誇り続ける、天界生まれの白い花。タカシと話が出来る花なら、事情は知って
いるだろう。その花を横目に、しかし、どうやっても俄かには口にし難い質問
だ。間違いなくレオはタカシを、それも天使の姿を見ている。その彼が自分が
目の当たりにした異様をどう捉え、どう考えているのか、わからない今、迂闊
には触れ難い話題だった。
デモ、聞カナ、アカン。
どうしても先に進まなくてはならない。
___オレはちゃんと、タカシの口から事実を聞かな、あかんのや。
「あの。その」
「ああ、タカシさんも自分の部屋だと思うよ」
レオは察し良く、そう言い、言葉を続ける。
「実はオレ、今日はお詫びにやって来たんだ。とんでもないこと、しちまった
から。一応、精一杯、謝って、タカシさんも許してくれるって、言ってくれた
んだけど。でも、やっぱり、トラウマになっているんだよね。仕方のないこと
なんだけど。オレの顔なんか、見ない方が良かったんだろうね。タカシさんの
顔色があんまり悪くなったから、柾明さんが部屋で休みなさいって」
「そうなんや」
「で、やっぱり、クッキーにしとく? キッチンにケーキっぽい箱もあったし
「いいや。せっかくだから、人気のガトーショコラに挑戦したいわ」
「あ、そう? じゃ」
レオはケーキ皿を取りにキッチンへ向かい、すぐに戻って来た。兄やタカシの
整理整頓ぶりを持ってすれば、常駐していない新参者にも、すぐに目当ての皿
が捜し出せるらしい。
___そうやな。一目瞭然を心掛けとるらしいからな。
タカシと兄。見た目は両極端で、大きく異なるが、マメで几帳面な気質は良く
似ているのかも知れない。
___似た者同士か。ブゥーさんも、だけど。
「あの、瞬一?」
「あ。はい」
うっかり、レオを置いたまま、自分の考え事に没頭し始めていたようだ。悪い
癖だと反省しながら、意識を立て直す。
「美味しくない?」
「え。いや、美味いよ、これ。うん、いけとる」
「ああ。それは良かった」
安堵の言葉を吐きながら、ぎごちなく頷いて、レオも自分の口へとフォークを
運ぶ。
「うん。きっと美味いんだろうな、こーゆーの」
「何で、そんな遠回りな表現なん?」
「何となく。平たく言うと、こんな良い物、食べ慣れていないから、濃いって
嫌がっていいのか、濃厚だって喜んでいいのか、その辺りがちょっと微妙かな
と思って」
そう返され、少しばかり考えた末、自分が失敗したのだと気付く。
「えっと。あの、ごめん」
「いいよ。変な見栄はって、お金持ち学校へ行かせた母さんが悪いと言えば、
悪いし、期待に応えてやれなかったオレは尚更、悪いんだし。あっ」
レオは何か思い出したように、不意に顔を綻ばせた。
「何?」
「オレのね、人生で一番、美味かった物って言ったら、そこのお好み焼き屋で
食べた焼きそばなんだ。あれが何よりの御馳走だな」
「そこの?」
「行ったこと、あるでしょ?」
「それが、ないねん」
タカシと行く約束をしていた、その店だ。
「え、何で? あの店、あそこに三十年くらいある、人気の店なんでしょ? 
近くなのに?」
「何となく」
いつもきちんと着飾っていた母親は自分の衣服に匂いが移るやも知れない店に
など、近付くはずもなかったし、その点では祖母も似たようなものだった。
___オシャレして行く店、が好きなんやもん、二人共。
大体、あんな二人組が入店したなら、さぞかし浮いて、他の客の迷惑にもなり
かねなかったはずだ。
「今度、行ってみたらいいよ。とは言え、オレもずっと昔に行ったきりだから
な。もしかしたら店の人、変わっているってこともあるのかな。チラッと通り
すがりに見たら同じような古い暖簾だったから、同じ店なんだとばかり思って
いたんだけど」
「それって、いつ頃の話? いつ、そんな近くまで来たん?」
「随分、昔の話だよ。確か。小ニ、かな。バスに乗って、一人で来たよ」
「一人? あの店、目当てに? わざわざバスに乗って?」
レオは苦笑いを見せた。
「お目当てはお好み焼きでも、焼きそばでもなかった、かな。この家って言う
か、瞬一の様子をね、見に来たの」
「オレの様子?」
「そう。どうしているのかな、と思って。でも、おまえは家族でお出掛けして
いて、この家、留守だったんだ。で、仕方なく引き返そうとしていたら、柾明
さんが帰って来て。オレ、小二だったから、どう見ても子供じゃん? それで
瞬一の友達かって聞かれて。他に説明の仕様もなかったから、うんって言った
ら柾明さんがあの店に連れて行ってくれたんだ。その時、焼きそばとサイダー
をおごってくれて。凄く嬉しかった」
「そうやったんや」
それで兄も、うっすらとレオのことを覚えていたに違いない。
デモ。
「何で焼きそばやの? あの店、お好み焼きで有名やのに」
「何でって、お好み焼きは食べたことがなかったんで、何となく」
「ああ。初物は何となく嫌やもんな」
「うん。そんな感じ」
 頬は若干、削げた感じが否めないものの、レオの表情は決して、暗くない。
柾明さん、と兄を呼ぶ様子は朗らかで、見るからに慕い、懐いているふうだ。
「身体、大丈夫なん? 警察は? 追われとるんと違うん?」
「そっちは大丈夫なんだ。オレのこと、柾明さんが捜してくれてね。ちゃんと
やり直すつもりがあるんなら、被害届けは取り下げてくれるって。警察にも、
そう言ってくれて、病院にも柾明さんが連れて行ってくれたんだ。薬を貰って
飲んでいるから、身体の方もそんなに辛くないし」
「そうやったんや」
「うん。で、明日は美容院に行って、髪を染め直して、ちゃんと整えるつもり
。だって、こんな安っぽい、プリンみたいな頭じゃ、柾明さんの立派な事務所
には入れない。柾明さんに恥ずかしい思いをさせちゃ、申し訳ないからね」
「お兄ちゃんの事務所って?」
「当分、雑用係として、使ってくれるって。アパートも借りてくれて。それで
オレがちゃんと勉強して一人前になったら、その時は本採用もあるって言って
くれて。嬉しくて」
感極まったのか、レオは目尻を拭った。
「オレ、今、人生で一番、充実しているんだ。誰かに守って貰えて、期待して
貰えて。凄く嬉しい。生まれて初めて、ちゃんと生きているって実感出来るの
に、オレの命って、あと半年なんだよね。間抜けだよね。白石さんに言わせる
と、『大したことはない。まだまだ大丈夫』ならしいけど」
「何を根拠に?」
白石の言いぐさに思わず、呟いた瞬一の言葉をレオは笑顔で拾った。
「ああ、茶化しているわけじゃないんだよ。お医者さんは短めに宣告するもの
なんだって。残り一年って言ったのに半年で死んだら、お医者さんのせいなん
じゃないかって、あらぬ疑いを掛けられたり、逆恨みされることもあるでしょ
? だから、予め、短めに言っておくものなんだって。半年って言ったのに、
一年、生きられたら、先生の治療のおかげだって、患者さんも、家族も喜べる
からって」
「そ、そうかも知れへんけど」
「それに『残りが一年もあったら、画期的な治療法が出て来るかもって、期待
して頑張るように』って、言われた。励ましてくれているらしいから、ああ、
そうかもって思うことにしたんだ。瞬一は獣医さんになるんだってね」
「あ、うん」
「頑張って」
「うん。ありがとう」
「そうだ。オレ、肝腎なことを忘れていた」
レオは立ち上がり、パタパタと駆けて行って、すぐに紙袋を手に戻って来た。
「これ、返す」
「これって?」
随分、懐かしい手作りの布袋。祖母が仕立ててくれた、幼稚園時代、お弁当箱
を入れていた袋だ。当時、瞬一の手持ちの品には全て、縫い付けられていた熊
のアップリケ。御丁寧に水玉のリボンを付けた、水色の熊が色褪せ、しかし、
しっかりと微笑んでいる。
「今更なんだけど。でも、ちゃんと言っておきたい。だから、言わせて欲しい
んだ。幼稚園の時、何かと当たって、ごめんな。正直、瞬一が妬ましかった。
羨ましかったんだ。その上、こないだは家に上がり込んで、タカシさんに悪い
ことをした。本当に申し訳ない」
床に手を付き、深く下げられた頭を覆う、金色に染められた長髪。パサパサと
わらの如く痛んだ様が彼の人生のようで、瞬一の目にも痛むようだった。
「ずっと忘れていたつもりだったんだ。でも、夏祭りの日、瞬一を見掛けた。
友達みたいな人達と一緒で楽しそうで、車にも乗って。その上、凄く綺麗な、
優しそうなタカシさんも一緒で。妬ましくて。オレの命は残り少しで、母さん
もいなくて、それなのにやっぱり、瞬一は幸せそうだと思ったら堪らなかった
んだ」

 

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