「オレの言っていること、一方的でおかしい。こんなの、筋が通らないって、
今ならわかる。わかるつもりなんだ。だけど。その時は悔しくて、腹立たしく
て。本当に頭に血が上って。哀しいって言うか、おまえのこと、妬ましいって
思う気持ちを抑えられなかった。あの頃にはもう誰も、迷惑を掛けられない、
って思うような、そんな大切な人、オレには残っていなかったし。他人の家や
店の塀や壁に落書きしたり、どう見ても大事にしているだろう庭木を台無しに
したり、引ったくりをしたり、坊ちゃん育ちのおまえには言い難いこともした
よ。結局、オレは幼稚園の頃からずっと何も変わらず、成長しなかったんだ。
怒りに任せて好き勝手やる、乱暴者のままだった。もちろん今更、何を言った
って、所詮は言い訳だってわかっているつもりなんだ。何を詫びたって、もう
ただの気休めにしかならないんだよね」
「言いたいだけ、言えばええやん? 遠慮したかて、仕方ないやろ?」
フォークの先のケーキの欠片を見つめる。チョコレート色の濃淡が層となり、
なかなか美しい。ほろ苦さにも、甘みにもそれぞれ強弱がありつつ、しっかり
とまとまっていて、美味しいと思う。
キット。
人生にも、こんな様々な層が必要なのだろう。甘いばかりの一層、ただの砂糖
の塊ではつまらない。同様に満たされっ放しの人生では恐らく、人生の最期に
目を閉じる時、自分の人生は平易でつまらないものだった、と自嘲することに
なるのやも知れない。
___そんなん、嫌や。自分の送って来た人生を自分で、しかも、鼻では笑い
とうない。満足したいもん、そん時だけは。
そう考えてみると、レオは瞬一の人生においては希少な、苦痛や不快を与えて
くれる存在だったのではないか?
___そやな。この人がおらんかったら、オレの人生、快適過ぎやった。どこ
かで罰が当たっとったんかもな。
前妻と兄の思いを知らぬまま、のんきにずっと生きて行ったのかも知れない。
むろん、前妻の寂しさや苦しみと比べられるほどの苦痛は未だ、知らないが。
___オレの苦痛。せいぜいが画鋲、踏んだ!くらいの、一過性の痛みやろう
な。我慢しとったら、その内、綺麗さっぱり、忘れてしまえるくらいの。隆の
ことだって。辛いのはオレやのうて、御両親と隆自身なんやもんな。
あの両親は今、どう過しているのだろう? 春休み、訪ねてみるのもいいかも
知れない。
___隆のお墓、行ったげたいもんな。
いつもより、かなり濃いコーヒーを飲み干し、ふと注がれる視線に気付いて、
レオを見やった。
「何?」
「おまえって、結構、タフって言うか、動じないよな」
「そうなん?」
「そうだよ。苛めっ子だったオレが言うのも変な話だけど」
レオは堪えきれなくなったように、ため息を吐いた。
「正直、おまえくらい、感じの悪い苛められっ子は滅多にいないって、思って
いたもん」
「何やねん、それ?」
「だって、おまえって、オレが何を言っても、時々、突き飛ばしても、荷物を
隠しても、たまに壊しても、ただの一度も泣かなかったし、先生達に告げ口も
しなかった。あれだけベタベタと一緒に歌なんか、歌いながら園まで来たり、
帰ったりする仲良し家族なのに親父さんとか、おふくろさんが園に怒鳴り込む
こともなかった。つまり、親にも、祖母ちゃんにも言っていなかったんだろう
?」
「ああ」
そう言われてみれば、確かに一度も、レオについて報告した覚えはなかった。
「何で?」
「オレの問題やもん。親に言うのも、変やし。第一、そんなん、思い付かへん
かったわ」
「違う、な」
「違う? 何が、どう違うねん?」
「おまえは基本的にオレなんか、眼中になかった。相手にしていなかったんだ
と思うよ。好意は持っていないってふうだったけど、でも、他の奴らみたいな
敵意も感じなかった。どちらかって言うと、ああ、はえがウザいな、くらいの
スルーの仕方だった」
「そんなん、言い掛かりやん?」
大体、自分はいつまで見たくもない顔を見、話したくもない話を続けなくては
ならないのか? 
___オレはタカシに用があるのに。
 余命幾らと知らなければ、とっとと席を立てるものを。要領の悪い自分に歯
噛みしながら、何やら未だ言い足りない様子のレオを見据える。
___謝りに来たって言うよりは、むしろ、新たにオレの態度が悪かったから
だって、ケチを付けに来たようなもんやん? あいにくオレかて、今度は負け
へん。言われっぱなし、やられっぱなしで済まさへんで? コウ君、レン君に
どれだけいじられた思うてんねん?
「あのさ」
決意も新たに口を開きかけ、だが、すぐに瞬一の覚悟は頓挫した。
「携帯だ。オレの携帯」
バッと弾かれたように立ち上がる。レオに構っている暇などない。この着メロ
はタカシのものだ。自分がダウンロードしたのだから、間違えるはずはない。
「タカシ?」
「ごめんなさい。今、話せますか?」
「うん。ええよ。オレがそっちに行く。オレも話したいこと、あんねん」
「わかりました」
通話を切り、チラとレオを見た。
「ごめん。オレ、タカシの様子、見て来るから」
「ああ、そうしてあげて。オレはここら辺、片付けておくから。いくら何でも
もう、柾明さんも降りて来るだろうし」
やはり、レオは兄のことが大好きならしい。
フン。
___どんだけ懐いたかて、オレのお兄ちゃんなんやけどな。
腹の内で毒づいて、慌てて、タカシの部屋をめざした。
「タカシ」
 ベッドの縁にちんまりと、俯いてタカシは一人、座っていた。膝の上には兄
が贈った二本の杖。それを握り締め、タカシはいかにも何事か考え込んでいた
ようだったが、瞬一に気付くと顔を上げ、二本の杖は自分の傍ら、ベッドの上
へ下ろした。
「呼び立てして、ごめんなさい。話の途中だったのでは?」
「ええよ。実際、ちょっとばかり気詰まりでな。タカシが呼んでくれて正直、
ホッとしたくらいやねん」
「そうなんですか」
「それで」
タカシの隣りに腰を下ろしながら、そっと話の先を促す。
「話って、何?」
「佐原、近くまで来ていますよね」
「え、うん。来とるけど」
タカシはよほど続け難い話なのか、そこで口を噤み、頭を垂れてしまった。
「何? タカシ、佐原君に会いたいん? そやったら電話、してあげたらええ
やん? あのヒト、きっと涎、垂らして喜ぶで? タカシ大好きなんやもん。
ちょっと変態臭いけどな」
軽口を叩き、何とかタカシの顔を上げさせようと試みるが、そうそう上手くは
行かなかった。タカシは口元すら、緩めようとしないのだ。どうやら待つしか
ないようだ。そう腹を括り、しばし待ってみる。
「瞬一」
「何?」
「瞬一と一緒に、掲示板を見に行くって、イベントを楽しみにしていたのです
けれど」
「合格発表のこと?」
「ええ。でも。ごめんなさい。とても、その日までここにいることは出来ない
ようです」
「えっ」
「合格祝いだけはもう、支度してあるのですけれど」
タカシは立ち上がり、自分のチェストへ歩み寄る。その天板にある物はただ、
綺麗に包装されたそれ、一つだけだった。いつもの荷物は何一つ、ない。
「何を買って良いものか、わからなくて。庶務の皆に相談して決めて、買って
来てもらった物なんです。若い内はあまり用がないけれど、将来、獣医さんに
なったら、毎日、使う物だからって」
赤いリボンがこんもりと丸く、小さな花を模っているらしい。タカシの袖口の
飾りの一つに良く似て、可愛らしかった。
「おめでとう」
「ありがとう」
デモ。
包みを受け取りながら、小さくぼやいてみる。
「オレ、未だ合格はしてへんのやけど。結構、せっかちさんなんやな、タカシ
は」
「合格しているんでしょう? 庶務から知らせがありました。たぶん、佐原達
も聞いているはずですよ」
「ああ。時々、差し入れに入っとるメモとか、携帯のメールとか、庶務のヒト
達のチクリ報告なわけか。それはちょっと複雑、やな。掲示板、見て、わぁー
って、大喜びしてみたかったんやけどな」
「ごめんなさい」
タカシは再び、瞬一の隣に腰を下ろした。
「とてもその日まで待ってはいられないようだから」
反射的に顔を上げ、タカシを見た。白いのんびりとした顔に浮かんだ、寂しげ
なもの。
「天界に、帰るって意味?」
コクリと頷く。
「何でやねん? 何で? 何でタカシ、帰らな、あかんねん?」
「瞬一って、おかしなことを言う子ですね。瞬一だって、わかっていること、
なんでしょう? このまま、僕が人間界にいるわけにはいかないことくらい」
「だって。じゃあ、やっぱり。お兄ちゃんは、、、」
「そう、みたいですね」
 タカシが目を伏せる。長い睫毛が白い頬に影を作るのを見ながら、束の間、
考えた。
「もしかして、記憶も?」
「恐らくは」
「恐らくは?」
「彼と話らしい話をしたことはないから。だって、彼に前世の記憶がなくて、
ただの人間に過ぎなければ。ほんの少しだけ、だけれど、でも、傍にいられる
かも知れない。そう思って。つまらない、浅はかな発想ですけれど」
「そんなこと、ないよ。タカシ、命懸けでこんな所まで、人間界まで来たんや
もん。少しくらい―」
「だから、もう十分だと」
「何で、そんな急に?」
「佐原から聞いているんでしょう?」
外部とは接触を断っているに等しいタカシがなぜ、事情に通じているのだろう
「タカシ、外の様子は見えへん、よな?」
「ええ」
タカシは携帯電話を取り出して見せた。
「庶務の子が佐原達が来ている、瞬一と会っているって、教えてくれました」
順次、報告されていたのだ。
「本当に何でもちくるんやね、庶務の皆さんは」
「悪く思わないであげて欲しいんです。その子は悪くないのだから。ただ」
「ただ?」
「他の子達が罪を犯すことになるのではないか、酷く罰せられるのではないか
と案じて、それで僕に外の様子を知らせてくれているだけなんです」
「どういう意味なん?」
「庶務の中では意見が割れているようです」
「意見?」
「僕を、ここに残しておきたい者達と、早く返した方が安全だと思う者とに」
「タカシを人間界に残しておきたい派が、多数派ってこと?」
「ええ。そうみたいですね」
「タカシを人間界に残しておいたら、って言うか、今みたいにバックアップを
続けとったら、そりゃあ、天界的には罪なのかも知れへん、けど」
しかし、ある意味、タカシの逃亡生活を支えることは天界として、庶務の皆に
遣わした使命なのではないだろうか?
___コウ君達だって、勝手に追って来たと言うよりは、上のヒト達の暗黙の
了解を得た上で、それでタカシの保護のためにやって来たって感じやったもん
な。
ならば、庶務の天使達の行動もそれに副う、公の仕事だったのではないか?
___別にタカシをバックアップしたって、罪にはならへんのやないかな。
それに。どうもタカシの口調の深刻さには見合わないことのような気もするの
だ。
「瞬一」
「ん? 何? タカシ」
「人間界へ来て、瞬一に出会うことが出来て、良かったと思っています。本当
にありがとう」
「タカシ」
「大切なお友達の名前を貸してくれて、ありがとう。瞬一にタカシって、そう
呼んでもらえて、嬉しかった」
「そんな、お別れみたいな―」
ぐっとこみ上げて来る熱いものに阻まれ、言葉が続かなかった。

 

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