タカシは魔物といながらも、時折、一抹の寂しさを感じていたのだと言う。
本人が言うことだ。間違いではないだろう。
デモ。
何デ? 
それが瞬一が先ず抱く率直な感想だった。恐らく、二人は人気のない、気味が
悪いとも言えるあの静かな、冥界の蓋、赤い魚が棲む沼で小舟に乗り、一時の
逢瀬を楽しんでいた。他に適当な場所があれば、あんな所で会おうとする恋人
同士など、いないのだろうが。
___あんな所でデートする感覚自体が変やって、コウ君達も言うとったもん
な。タカシは根本的に悪食なんや、おかしいんやって。でも。
愛する誰かがそこに、一緒にいれば。周囲の気味悪さなど気にならない。何も
目に入らないし、耳にも入らない。そんなものなのではないか? 
___そんなん、オレには未体験の領域で、所詮、想像なんやけど。これって
人間的な感覚なんかな? 恋って感覚が薄い天使にはわからへんのやろか? 
 天界を抜け出すタカシはもちろん、大変な覚悟を伴ってのデートだったこと
だろう。一方、魔物の方もタカシの身なりを見れば、その特別な地位を推して
知ることが出来たはずだし、当然、天界に知れれば、自分の身に累が及ぶこと
くらい、承知していたはずだ。それでも魔物はタカシと会い続け、大切にして
いたと言う。
___それやのに。何で、タカシ、寂しいって思うたんやろう? 
「魔物さん、いや。その時のお兄ちゃん、、、」
「魔物は」
タカシは覚悟を決めるように、一つ、息を吐いた。
「彼は僕に会うよりも、ずっと以前に。“果樹園の天使”に会ったことがある
のだと思う。今、思えば、ですけれど。だからこそ、魔物は僕の髪飾りにも、
袖口の飾りにも、煩わされることがなかった。ごく当たり前に僕に触れること
が出来たんです。普通に考えれば、あんな形の指や爪に、身体を覆う鱗や何か
に、当時の僕の衣装の飾りが引っ掛からないはずがない。佐原だって、自分の
ボタンや何かに引っ掛けないように気を遣っていました。だって、油断すると
必ず、どこかに引っ掛かるし、絡めば、外すのに手間取る、厄介な代物だった
のですからね。鈴もあんまり鳴ると、うるさいし」
二度と、誰も見ることも叶わないだろう、タカシの正装。果樹園の天使として
の正しい、その美しい姿はもう、佐原の記憶の中にしかない。
見タカッタナ。
正直な感想は呑み込み、改めて、考える。タカシと出会う前に魔物は“果樹園
の天使”に出会い、美しい髪飾りや複雑な袖口の飾り紐を、そして、その先に
結い付けられていたと言う小さな鈴を知っていた。
ソウナルト。
「タカシに出会う前に会っとったってことは。つまり、魔物が、お兄ちゃんが
人間界に来た時に出会った、ってことになるんやね。その、果樹園の天使さん
が果樹園におったら、会うはずがないし、まさか、果樹園の天使が魔界に行く
はずもあらへんのやから」
「ええ。恐らくは人間界の、どこかの時代で出会っていて、その時、何らかの
やりとりがあった、それであのヒトが魂を抜き取って、何かに収めることにも
なったのでしょう」
「やりとりって、あんまりいい意味に聞こえへんね。ちょっと嫌な響きのある
単語なんやけど。でも、待ってや。普通に考えたら、凄く傷付いたボロボロの
身体から、もう治らへん身体から、やで? そん中から魂を抜き取って、何か
他の物に入れてあげたんやとしたら。それはれっきとした人助けなんやないん
かな? 治療して、治してあげるんがベストやけど、それが出来ひんのやった
ら。せめて、痛いとか、辛いとか、そーゆーのんから開放してあげられたら、
それはええことなんやないんかな」
タカシは頷かなかった。
「では。一体、何のためにです?」
「何の、って」
鋭い詰問を返され、言葉に詰まる。
「魔物は何のために彼を助けようと思い立ったのですか? そして、彼の方は
何をもって、礼とするつもりだったのですか? 何にしろ、二人の間で互いに
見合うと思う条件だったからこそ、魔物は引き受けたはずです」
「損得勘定なん? 人助けやのうて?」
「残念ながら」
タカシは重く目を伏せた。
「レンが通りすがりのおばあさんの荷物を、近くのバス停まで運んであげる、
いつものあの親切とは意味が違うでしょう」
「どう違うねん? だって、本当は美人やったのに酷いケガをして、やで? 
周りの人間から白い目で見られたら、凄い辛いと思うねん。哀しいことやけど
な、人間って、他人のケガの跡とか、嫌うやん? 見ぃひんふりでもすれば、
ましな方や。あからさまに意地悪する奴もおんねん。そんなんから開放される
だけでも___」
「瞬一。重篤な身体から魂を抜き取って、他の何かに入れてあげただけでは、
瞬一がスーパーでお買い物カゴに欲しい商品を入れた、ただ、それだけのこと
です。それではお買い物は完了しないものでしょう?」
「まぁ、そうやね。とりあえず、レジには並ばな、あかんな」
「魂だって、他の何かに移しただけでは意味がないはずです」
「意味?」
だって。タカシは小さく呟いた。
「そのヒトは寂しさに耐えかねて、時空の綻びに身を投げたのですよ。自分が
生まれた天界ではなく、見たこともなかった異界、人間界に安らぎや、幸せを
求めて、身を投げ入れたんです。そこまでしたのにただ、肉体の苦痛から開放
されただけで満足出来ましょうか?」
「それは」
言われてみれば、確かにタカシの言う通りだ。瞬一には二の句が告げられず、
口ごもる。
「辛いことがあるからと言って、押入れにこもってみたところで何一つ、解決
しません。そのヒトだって、何かの中に隠れているだけでは満足出来ないはず
です」
「そうやけど。でもな、お兄ちゃん、優しいで? 交換条件があって、それで
何かする人やないような気がすんねんけど」
「瞬一」
「何?」
「ずっと。どうして、あの時、魔物は魔界へ逃げ込まなかったのか、不思議に
思っていました。彼は魔界では異端の能力を持つヒトで、風変わりなヒトでも
あったけれど、不自由はないくらい、強くもあった。彼の兄は魔界の王にまで
昇り詰めているのですからね。それなのに、彼は逃げなかった。逃げようとも
しなかった。いいえ。むしろ、故意に捕らえられて、処刑されることを選んだ
ようにも見える。だって、僕が時を止めた時、彼には兵士達を出し抜くことが
出来たのに、そうしなかったんです。おかしいでしょう?」
「そうやね。タカシを魔界へ連れて逃げることも出来たのにせぇへんかった。
オレにはそれが一番、不思議や」
そう。もし、自分だったら。
オレナラ、絶対、タカシヲ連レテ逃ゲル。
タカシとて、言葉にしたか、否かはわからないが、心中、きっとそれを望んで
いたはずだ。
恋人同士ヤネンカラ。
「でも、何で? 何で、そんな自殺みたいな真似を?」
「約束を交わしていたのなら」
「約束?」
タカシはじっと瞬一を見据えた。悲しんでいるようにも、苦しんでいるように
も見えない、不思議に静かな目だ。
「もしかしたら。彼には人間界に舞い戻る必要があったのではないでしょうか
? だから、わざと天界に処分される道を選んだように思うんです。だって、
彼がいなければ、何かに収めた魂を回収することも、適当な入れ物に移すこと
も出来ないでしょう?」
「それじゃ、お兄ちゃんはその、果樹園の天使さんの魂を救うために、わざと
処刑されたん? でも、待って。そんなことして、お兄ちゃんに何の得がある
ん? 殺されてまうんやで? 魂かて、粉々に砕かれてしまうんやで?」
「でも、ああして、人間界に転出出来ているじゃないですか?」
「転出?」
「前にも言ったでしょう? 強い魔力を持つ魔物は人間界には入れないって。
通常なら、あのレベルの魔物が人間界に入れるはずはない。彼が人間界に来る
時は魂だけ、幽体離脱に近い状態でしか、侵入出来なかったんです。魂だけで
は当然、本来の力は使えないから、きっとあのヒトの魂も、いつもの調子では
扱えなかったのだと思う。適当な入れ物、生体に移せなかったから、改めて、
移し替える必要があるのではないかと思うんです」
「じゃ、お兄ちゃんは人間界に来るために、果樹園の天使さんは新しい身体に
移るために、約束し合っていたってこと?」

 

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