「そんなことのためにタカシを? タカシを利用したってこと? 優しいふり
して、それで―」
怒りに任せ、吐き出した言葉の続きを震えと一緒に呑み込んだ。
「ごめん」
項垂れたタカシの傷心に気付けば、口ごもるしかなかった。傷付いたのは瞬一
ではなく、彼の方なのだ。
___大切な思い出やのに。
「ごめんなさい」
「いいえ。本当のことですから」
「でも、そんなはず、ないよ。お兄ちゃんは根が優しいタイプだし。それに。
タカシを利用しようだなんて、もしかしたら最初は考えていたのかも知れない
けど、でも、やっぱり、出来っこないよ。タカシは可愛い、良いヒトだもん。
オレだったら、絶対、そんな酷いこと、出来ない。だから、きっと、、、」
「ありがとう、瞬一」
微笑んでタカシは立ち上がる。
「タカシ?」
「どの道、急がなければならないんです」
「急ぐって?」
「僕がこのまま、ここにいれば、まず、間違いなく佐原が突っ込んで来ます。
あの子は思い切りも良いけれど、いささか、思い込みの激しいタイプですから
ね。一度、覚悟を決めたら、そのままで長い時間、待機し続けるなんてこと、
出来っこありません。だから、その前に出なくてはならないんです。僕が外に
出てしまえば、佐原が無茶をする理由はなくなりますからね」
黒い剣を握り締め、一点を見据えた佐原の横顔を思い出す。確かに、彼は本気
で一戦交える覚悟のようだった。それも、命懸けで。
「あの。素朴な疑問で悪いんやけど。本当にそのヒト、果樹園の天使さんって
ヒト、強いん?」
「ええ」
タカシは簡単に頷いた。
「僕とは違いますよ。昔の果樹園の天使ですからね。話せはしないけれど」
「そうなんや。でも、身体ってないんやね? 魂だけなんやね? 何かの中に
入っとるってことは。そこから自由に出入り出来たりとか、するんかな?」
「出入りは出来ないはずですよ。でも、傍に僕がいたのでは何が起こるやら、
予想もつかない。本当にわからないんです。だからこそ、なるべく早くここを
出ておきたいんです」
タカシは本当に出て行くつもりなのだろうか。そろそろと、それでもしっかり
とドアの方へ歩き出そうとしている。瞬一は慌てて、その手を掴んだ。
「待って。待ってや、タカシ。なっ。もうちょっとだけ、考えてみよう。な。
タカシも天使なんやもん。きっと、西ッ側の天使さん達が四人がかりで張った
って、超強力な結界に悪影響を受けとるんやと思うよ。佐原君とコウ君なんか
いつもより、ずっとアホになっとったもん。ああ、二人には言わんといてな。
ぶっ飛ばされてまうから」
「告げ口はしませんけど」
「ありがとう。それでな、話は戻るんやけど。とりあえず、座って。座って、
もう一回、落ち着いて、良く考えようや。なっ」
無理強いに近いとは思うが、背に腹は代えられない。今生の別れは永遠の別れ
となるのだ。何が何でも阻止しなければならない。
セメテ、本当ニ納得シテカラヤナイト。
 見かけほどの重みはない身体を半ば、抱えるようにして連れ戻し、ベッドの
端へと改めて、座らせる。
「瞬一」
抗議の声は早口の質問で制した。
「あんな。あの。例えば。そう。ほら、果樹園の天使さんの力で、魔物さん、
お兄ちゃんの魂が復活出来たんやとして、やで? 何で、お兄ちゃんに昔の、
魔物時代の記憶があんの? 記憶喪失みたいな状態になるんやないの?」
諦めたのか、タカシはおとなしく質問に答えてくれた。
「記憶は魂に付随するものだから、です。人間にも、偶に前世の記憶が鮮明な
人がいるでしょう?」
「そういう話は聞くけどな。具体的には知らへんってゆーか、身近にはおらん
かったな」
「魂に作用する力があれば、記憶に働きかけることはそう難しいことではない
んです。コウ達南側の天使も人間界を立ち去る時には、関わった人々の記憶を
操作するでしょう? あれも天使の力の一端であって、結局、魂に及ぼす能力
の一部なんでしょうね」
「小難しい話やな。オレにはようわからへんわ。でも、きっとそうなんやろう
な。あっ、でも、一番、肝腎なことが」
「何です?」
「もしも、やで。もし、お兄ちゃんに昔の記憶が戻っているとして、やで? 
魂と記憶が揃っていたって、やっぱり、お兄ちゃんは魔物やないやん? そう
やろ? だって、一番、肝腎な魔力がないんやもん。魔力がなかったら、ただ
の変わった人やん? オレは魔物やでって言うたかて、そら、単なるホラ吹き
やもん。そやったら、ほらっ。やっぱり、こんなに慌てふためく必要なんか、
なかったんや」
「瞬一。引き止めてくれる気持ちは嬉しいのだけれど、もう一つくらい、考え
ようもあるのではありませんか?」
「えっ?」
「天使をかどわかした罪で天界に処刑された、それによって、魔物は首尾良く
人間界に転出することが出来たのです。予め、何らかの約束があって、地上で
果樹園の天使、いえ、そのヒトの魂が待ち受けていたのだとしたら、どんなに
細かく砕かれていたとしても、魔物の魂には復活出来る見込みがあって、それ
に伴って、本来の記憶も甦るのだと理解もしていれば、処刑も大して恐ろしい
ものには思えなかったのかも知れない。だけど、それだけでは未だ、誰も利益
を得ていませんよね」
「利益?」
タカシは小さく頷く。
「瞬一の言う通り、魂と記憶の二つが揃っただけでは魔物は魔力を失った状態
のままだし、当然、何かの中に収められたそのヒトの魂を救出するなんてこと
も叶わない」
「うん。そうやね」
「だとしたら、僕の役割りは一体、何なのでしょう?」
「タカシの役割り?」
「天界に処刑されること、それだけが望みだったのなら、他に幾らでも時間の
掛からないやり方があったはずです」
確かに魔物は時間を掛け、タカシと会い続けていた。
「そりゃあ、やっぱり、、、」
「やっぱり?」
「やっぱり、タカシが可愛かったから、やないの?」
「瞬一、赤くなっていますよ」
「いけずやな、タカシ」
クスリと笑い、すぐにタカシは表情を引き締めた。
「何かの中から魂を引き出すために僕が必要だったのだとしても、それだけで
はダメですよね。僕には次の何かに入れてあげる力はないんですから」
「それ、魔物さん、お兄ちゃんにしか、出来ひんことなん?」
「おそらくは。他者に乗り移ることが出来る魔物なら、人間界にも複数、侵入
して来ているそうですけれど、他の何かに魂を注ぎ入れたり、いっそ、新たな
人格を持たせることが出来るのは彼くらいのものですね」
「じゃ、本当に珍しい力の持ち主なんやね」
「ええ」
タカシは視線を滑らせ、ベッドの上に置いた杖を見据える。
「でも。あのヒトは一体、どうやって、魂を移すつもりなんだろう? 魔力も
なしに?」
魔物が自らの魔力を取り戻す方法を心得ているのか、いないのか。それを穿鑿
したり、論議したりしている暇もなかった。タカシの携帯が不意に鳴り始めた
からだ。
「誰?」
「庶務の、たった一人きりの少数派、ですね」
タカシが人間界に留まることに不安を覚えているという、誰か。タカシは手を
伸ばし、自分の携帯を取った。
「はい」
大体、庶務の天使が電話を掛けて来ること、それ自体が珍しい。彼らは大抵、
メール派だった。
___それも、ギリシャ語の。
そう言えば、電話越しとは言え、果樹園の天使が相手では緊張のあまり、卒倒
しそうになるのだといつだったか、大真面目な顔で教えてくれたヒトがいた。
___見かけ、丈夫そうな中年のおじさんやのにな。気持ちはわかるけど。
「何人いるのです? 三人?」
 ハッと瞬一は我に返る。タカシの声に浮かんだ聞き慣れない緊迫感。彼には
似合わないそれに気付き、姿勢を正して、ただタカシの横顔を注視する。高く
通った鼻筋が一際、美しい。そう思った。
「止めて下さい。ええ。僕がこの家を出ます。だから、コウには無理をしない
ように言って下さい。レンを巻き添えにするような真似、させてはいけません
から。ええ。お願い」
通話を終え、タカシは立ち上がった。
「出ますよ、瞬一」
もう止められない。そう確信するに足る決意が窺える。
「コウ君達に何か、あったん?」
「病院で、西側の子達に行く手を阻まれているようです」
「病院?」
確カ。
白石の向かった先を思い出す。白石は兄に言われた通り、長く寝付いたままの
姉を病床から連れ帰る気で出掛けたのだ。
「何でや? 何でお兄ちゃん、ブゥーさんにお姉さんを連れて来い、言うたん
? 止めに行ったコウ君達の行動なら、意味がわかんねん。お姉さんは絶対、
動かしたらあかん、病人やっていうからな。でも、何で、それを西ッ側の天使
さんが止めんねん?」
ドアの前にまで届いていた足をタカシは止めた。
「西側の天使達は理解しているからでしょう」
「理解? 何を?」
「柾明が何をしようとしているのか、を」
抑揚のない、冷えた声だった。
「一刻も早くここを出なくてはならなかったのに。惑ってしまった僕が一番、
悪いんです」
「タカシ?」
泣き出しそうなのだと気付き、慌てて、タカシの元へ駆け付ける。
「瞬一」
「何?」
「外へ出るために、力を貸して下さいね」
「えっ?」
「瞬一だけが頼りなのだから」
ギュッ、と力を込めて握られた自分の手を見つめる。
「タカシ?」
どういう意味なのだろう? 
「とても冷えて、暗くて、寂しい、あの“心”と向き合う自信がないのです」
「心って、誰の? お兄ちゃんの?」
タカシは項垂れたまま、首を振った。
「じゃ、誰なん?」
「それは」
ノックの音に二人、驚いてドアを見、タカシは一歩、後ずさった。
「レオだけど」
「ああ、何?」
タカシを安心させるべく、軽く背中を叩いてやってから、ドアへと歩み寄る。
「オレ、柾明さんに頼まれたお使いに行って来るから」
「今頃? もう遅い時間やで?」
「ああ。オレ、こないだまで今頃が活動タイムだったからね。何ともないんだ
よね」
「寒いのに、大丈夫なん?」
「うん。これ、柾明さんに貰ったコート。すっごく暖かいんだ。じゃあ」
ドアの隙間から見えたレオは嬉しげだった。あれだけ喜んで出掛けるのなら、
身体に障るのではないか、と心配する必要もないのだろう。
「お兄ちゃんの仕事は終わった、ゆーことか」
「瞬一。今の内に―」
「今の内に何?」
ぐいと押し開かれたドア。細身の兄はあっと思う間もなく、入って来ていた。

 

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送