「佐原君はこんなことにならなくても。どの道、いつかは下っ端からやり直す
道を選んでいたんだと思う。天界って、世界にどんだけの未練があったのか、
そこのところはいささか疑問だけど。でも、堕天使だって、やっぱり、天使な
わけだからな。どんなに長く人間界に居座ったって、なじんでいたって、人間
にはなれない。なれるようなものでもないし、なりたいとも思わない」
「そんな魔法、誰にも使えないよ。端から無理な話じゃん?」
レンが口を挟み、コウはそれにニヤリ、と笑って返した。二人の関係は何ら、
揺らいでいないようだ。
___そうだよな。天界に何かあっても、人間界に何かあったとしても、二人
は二人。変わりっこないんだよな。
 魂の双子。ほとんどの天使には魂の双子、対を成すべき相手がいると言う。
しかし、魂を育む果樹園の天使は魂の成長過程において、その片割れを失い、
永久に埋めることの出来ない寂しさを抱く者が少なくないと聞いた。ならば、
あの人間界に置き捨てられた、哀れな果樹園の天使は捜し求めた自らの片割れ
に遭遇することが出来たのだろうか? 
___出来るはず、ないんだよな。だって、もしも、そんなことが出来たら、
出会えていたら、あのヒト、ああはならなかったんだ、よな。
長い爪と冷えた眼差し。そのくせ、やけに虚ろな表情を浮かべた天使だ。瞬一
の目にはあの右頬の黒い、無残な傷跡が今もくっきりと焼き付いている。
___女の子だったら、気絶ものだもん。
アレハ、カワイソウナヒトナンヤ。
「おい、瞬一」
名前を呼ばれ、我に返る。
「何?」
「さっきも言った通り、オレは一先ず、天界へ帰る。この二人を適切な場所に
預けて。出来れば、天界の現状を調べて、その上で戻って来るつもりだ」
「現状を調べる?」
「ああ。あの果樹園の天使の魂を救いたい一心だったとは言え、西ッ側の連中
と庶務の奴らがやったことは許されざることだからな。事実上、元魔物を復活
させる手助けともなったんだ。実際、お守り役を言いつかっていたオレやレン
からタカシを取り上げている恰好の、この状態だって、天界への謀反の一端と
取られても致し方ないだろう。こんな事態を招いたのは天界全体の失態だろう
が、そうは言っても、あの親玉がいればこその出来事でもあったはずだ。庶務
の奴らには天界に盾突くような意気地はないし、西ッ側の連中だって、元々、
悪巧みとは無縁の、不器用なお人好しだ。何せ、奴らは一度、人間界に降りて
しまえば、ほとんど生涯、単独行動で、仲間同士つるむこともない。横の連絡
は取らないし、たまに庶務の連中と出会っても、会話らしい会話はしないのが
しきたり。庶務の側から見ても、とても馴れ合い易い相手とは言い難いはず。
そんな連中が互いの務めを超えて一致団結し、その上、大事をなそうと企てる
にはそれなりの切れて、視野の広い頭が必要だったはずだ」
「それじゃ、やっぱり、親玉さんが首謀者なんやね。親玉さんなら、偉いから
色々、手も回せそうなもんやし」
「ああ。まず間違いなく、そうだろう。だが、若いオレや人間のおまえに思い
付くような程度のことだ。年寄り連中なら迷わず、真っ先にあいつを疑うはず
だ。人間界に私怨があり、あの果樹園の天使の動向を耳に出来る立場と言った
ら、天界広しと言えども、そうはいないはずだからな」
「普通の天使は知らないまんま、なんやもんね」
「ああ」
「そやったら、親玉さん、捕まるやん?」
「いや」
コウは小さく頭を振った。
「いやって? 何で? だって、首謀者なんやろ?」
「もっとも疑わしいヒトだが、正直、天界がどう動くか、そこのところは未だ
わからない」
「わからないって? 何でやねん? 一番、疑わしいヒトなんやったら、一番
先に連行されるんと違うん?」
「確かにな。親玉が企てて、一切を図ったことだとしても、だ。それをまとも
に正面から断罪して、それで天界的に何か、得があるのか、否かって、ことだ
よ」
「どういう意味なん?」
「いいか? 裁判ともなれば、当然、公正な記録として未来永劫、文書として
形が残ることになるし、全天使の聞き及ぶことにもなる。それが天界にとって
良いことなのか、否か。そこが思案のしどころなんだろうよ、お偉いさん的に
な」
「出来れば、一切、“なかった”ことにしたいって、画策する年寄りだって、
現れるはず、だよね? コウ」
「ああ。いつものパターンなら、な」
「待って。それじゃ、どうして今回に限って、いつものパターンを選らばへん
かも知れんって考えるん?」
「ことがことだから、だろ? 魔物が魂と記憶を取り戻して甦り、それどころ
か、再び、魔力まで手中に収めようとしているこの事態に誰だって、戸惑いが
ないわけじゃない。それにあいつ、元魔物が人間界で何をしでかす気でいるの
か、そこのところがさっぱりわからないからな。よって、誰も迂闊にいつもの
行動パターンが取れないかも知れない、ってわけだ。親玉の代わりはいるが、
奴の首を取り替えることで、北ッ側の士気が下がるのは困る。ましてや、天界
全体の風紀が乱れては天界的に命取りにもなり兼ねない。いつだって、完璧な
階級社会であらねばならないんだからな」
「じゃ、場合によっては見て見ぬふりって方策もあり得る、ってこと?」
「ああ。所詮、オレの希望的観測でもあるけどな。だから、オレは大天使様達
の様子を窺って、ことのあらましを調べてみる」
「ねぇ、コウ」
「何だ?」
「コウって、大丈夫なわけ?」
「どーゆう意味だよ?」
「だって、コウってば、普段の行いが悪いからさ。大天使様の御殿になんか、
入れてもらえないんじゃないかと思って」
「しっ、失礼だな」
それでも思い当たるふしがないわけでもないのか、コウはいささか動揺気味の
様子だ。
「おまえだって、似たようなもんじゃねぇか」
「オレはあくまでも、コウのオマケだもん。オレが主犯だなんて、誰も思って
いないと思うけど」
「むっ。まっ、とにかく。いいか、瞬一。もし、北ッ側のあいつの身に何か、
大事があるようなら、オレは人間界へは戻らない。その場合はもしかしたら、
オレやレンにも何か、処分が下されるかも知れないからな。もし、そうなった
ら。オレ達は次の仕事を、南ッ側の天使としての仕事を天界で待つつもりだ。
もう、好きには動けない。ここに戻っては来られないわけだからな」
「タカシを迎えに、来ぃひんて意味?」
「ああ。もし、あの親玉が裁判に掛けられるような事態に陥った場合、タカシ
には何の後ろ盾もなくなる。親玉が将来、もっと出世して、その力でタカシが
果樹園の天使として、本当の意味で復職出来たら、それが一番、良いことなん
だが、親玉自身が大罪人、失脚なんてことになったら、タカシは一切の恩恵を
受けられない。それどころか、本当に恐ろしい監獄に入れられるかも知れない
んだ」
眉根を寄せ、苦しげな表情を浮かべたコウに代わり、レンが言葉を繋ぐ。
「そうだね。“壷”とは次元の違う苦痛だよね。堕天使の苦しみと比べるのも
どうかと思うけど、佐原君なら元々、超絶厳しい訓練を受けて親玉になった、
おまけに生来、特別、意固地なヒトだからね。精神的にも肉体的にもきつい、
流転の日々も『オレは波乗り気分で楽しめた』って、どうせ、大半、痩せ我慢
なんだろうけど、それでも大口叩いて威張ることも出来た。でも、タカシには
そんな苦痛、到底、耐えられないだろう。コウか、下っ端からやり直す佐原君
が大出世して、いつの日か、放免してあげられればまだいいけど、残念ながら
そう簡単なことじゃない。わかるよね? コウの経歴にも致命的な傷が付いて
いるのかも知れないし、佐原君は堕天使上がりになるわけだからね。生半可な
ことじゃ、エリートとは肩を並べられない。コウが無罪とみなされて、順当に
進んだって、今日、明日、実権を持てるわけでもない。そんなことなら、だよ
? そんなことなら、例え、物騒で、猥雑でお馬鹿な人間界でもいい、誰かに
守ってもらって安気に過してくれた方がよっぽど、ましってものなんじゃない
かって、コウもオレもこっそり、考えてもみたんだ」
「それって。でも、天界からタカシを奪い返しに来たり、とかせぇへんの?」
「オレ達は当分、ない、と思う。だって、おまえの兄貴って、カテゴリー上は
人間だもん。おまえだって、事情を知り過ぎているし。とてもチョチョイっと
記憶を消したくらいのことで、もう大丈夫、これで一安心って、天界に平穏が
戻るとは思えない。もし、天界が“やる”と決めたら、きっとおまえも、兄貴
も処分することになるんだと思う」
「処分? オレ、人間やのに、天使に殺されるん?」
「別にそんなの、珍しい事例じゃないよ」
レンは赤ん坊を抱いた恰好のまま、簡単に頷いた。
「天界は甘くないって、いつも言っているじゃん? どうにもならない人間は
葬る。おかげで曲がりなりにも人間界は未だ、存続しているんじゃん? あの
時、天界が手を下さなかったら___」
「おい。ヨタ話はその辺で切り上げようぜ。名残り惜しいんだろうけどさ」
「失礼な奴だな、コウは。オレはこんなデコッパチに未練なんてありません。
せいせいするんだからね」
憎まれ口を叩きながらプイ、とレンは背を向けた。
嘘吐キ。
自分カテ、涙目ヤン? 
「瞬一」
「何?」
「もしも。もしも、だが。それでももし、タカシが天界へ帰ると言うのなら、
オレは連れて帰るつもりだ。その時はおまえ、ちゃんと便宜を図ってくれない
か?」
「もしも。タカシが望むんやったら、な」
「ああ。じゃ」
きっと、コウとはまた、すぐに会える。報告に来てくれるはずだ。そう信じ、
寄り添いながら、あっと言う間に彼方に消えて行く二筋の白い光を見送った。
三人、となった天使は天界へと帰って行き、自分一人が取り残された。
___こんなん、平気や。生まれ育った世界におるだけなんやもん。
・・・
 異世界に残される恐怖に比べられるような、そんな寂しさではないはずだ。
そう自分に言い聞かせ、不安を噛み殺しながら自分の家へと急ぎ、戻る。ドア
を開けるとうっすらと、もう慣れた天界の花の匂いがした。誰かがいるはずの
リビングへ向かうと、何かがソファーに横たえられていて、その傍の床に白石
が一人、座っていた。
「お兄ちゃん、達は?」
「まー君はまー君のお部屋。たぶん、タカシもね」
「あの」
「もう一人の、ヒトはさっきは洗面所にいたよ。あの白い、可愛い花を眺めて
いた」
ソファーの上の何か。薄い毛布に包まれたそれは一箇所、包みきれずに右腕が
むき出しとなっていて、そのあまりの細さと色つやの悪さに瞬一は息を呑む。
祖母の亡骸しか、見たことのない瞬一だが、その腕は死者より力なく、生きて
いる者特有のエネルギーを微塵も感じさせてくれず、まるで蝋細工のようだ。
その手を握り、撫で擦りながら白石は独り言のように呟くのだ。
「気持ち悪いんでしょ?」
「そんなこと」
「いいんだよ。嘘まで吐いてくれなくても。見慣れないとビックリするよね。
でもね、姉さんは本当は今頃、すっごく綺麗な人になっていたはずなんだよ。
あんな酷い熱が出なければ。お医者さんがああ、風邪ですね、なんて、気安い
ことを言わなければ。母さんがじゃあ、他の病院へ行きますって、強くごねて
いれば。いや、父さんが会社の付き合いだなんて、上司のお宅に行かないで、
姉さんと病院に行ってくれていれば。オレがぐーすか眠っていなければ。何を
言っても、取り返しなんてつかないと思っていたのに。やっと報われる。あの
ヒトのお陰で」
入り口近くに立った果樹園の天使を、白石は恐れてもいないようだった。

 

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