「おい。いつまでも感激の涙に浸っていないで、自分はお邪魔虫だって、早い
とこ、気付いてやれよ。おまえ、完全に邪魔なギャラリーなんだぞ? 瞬一。
せっかくの良いところを見物して、どーすんだ? さり気なくフェードアウト
してやれよ。ったく、気の利かない」
いきなり背後から、思いもしない言葉を掛けられ、ギョッとして、振り返る。
そこにはいつもと変わらぬ様子の兄が立っていた。
 本当に何も変わっていないかのような様子を見れば、瞬一の方がためらわず
にはいられない。彼は平穏この上なく、とても前世の記憶を持っているように
も、ましてや、前世で持っていた魔力とやらを取り戻したようにも見えない。
ただ、将来を嘱望された若い画家にしか見えなかった。
ソレモ、メッチャ色男ノ。
___でも、普通、もうちょっとくらい、変化があるもんなんじゃないのかな
? 動揺するとか、しないのかな? まぁ。普通、そんな体験、誰もしないん
だろうけど。じゃ、こんなもの、なのかな? 人間、いざとなるとかえって、
冷静だって言うもんな。当事者ほど、冷めているって言うか。そうだ、よな。
慌てるばかりじゃ、毎日の生活にも事欠くもんな。人間、まず食べたり、寝た
り、仕事したりしないと、生きて行けないって言うか、ちゃんと生きていない
ことには心配も出来ないって言うか。それじゃ、やっぱり、こんなものなのか
な。
妙な図式でどうにか自分を納得させつつ、更にまた考える。
ソレニシテモ。
何デダ? 
彼には前世の状態に戻った戸惑いはないらしい。しかし、同様にこれから先、
将来に対する不安も一切、ないものなのだろうか? 少なくとも昨日、今日の
途中まではごく普通の人間だった者が魔力を得る。元々、持っていたものだと
は言え、魔力は商品券ではない。
___一種の、取り扱い危険物みたいなものなんじゃないのかなぁ? 持って
いたら便利なだけじゃ済まないんじゃないのかな? いや、所詮、もちろん、
想像に過ぎないわけだけど。魔力って、人間が見たり、聞いたりするみたいな
そんな能力なのかな、魔物さん的には。だとしたら。
 地上に住むほとんどの者が持たない能力を取り戻した、その一大変化に怖気
づくことすらなく、これまで通り、当たり前に過せるものなのだろうか?
___元々、魔物で、生まれつき、持っていた力なんだとしても。でも、これ
から先、天界がどう動くかとか、そーゆーのすら、気にしているふうじゃない
よな、このヒト。
「ああっ。もう嫌だなぁ、まー君ってば。オレ達、まー君みたいなイヤらしい
こと、していないもん。ねっ。オレ達は清らかな、温かい関係だよね」
話の全てが通じているのか、いないのか、魂だけの果樹園の天使はぼんやりと
した視線を白石から、新たに加わった兄へと移したに過ぎない。
通ジテヘンナ、アレハ。
タカシとそっくり同じ面差しを眺め、そう思う。しかし、明らかに彼の表情は
和らいでいて、何かに例えるなら、そう、まるで寝起きのようだ。
___寝起きには違いないんだろうし。
「よく言うぜ。おまえも大概、嫌な男だよな、ブゥー。それより、少なくとも
東日本一、オクテで有名な白石君が是非にと、あそこまで頑張って誘ったんだ
。おまえ、ドライブに行ってやったらどうだ? 明け方までに帰ってくれば、
十分だから。時間的には過ぎたって、一向に構わないけど、明るくなって人間
がそこら辺からわらわら出て来たら気分、悪くなるだろう? そんなんじゃ、
せっかくの朝焼けも台無しになるもんな」
 薄ぼんやりとしたまま、それでも彼は白石の姉を見やったらしい。気遣って
いるのだろう。素直にそう思えた。
「ああ。椿ちゃんはオレが預かっておくから、心配いらない。これ、羽織って
行きな。そのまんまじゃ、寒いし、おまえ、えらく目立つからな」
兄が持って来た服は本来、タカシの物のようだった。タカシのクローゼットに
はぎっしりと、誰か彼かに贈られた高価な服が並んでいたが、普段、タカシが
着る物は限られている。
___まず、レン君の検閲が入るからな。
即ち、レンが普通の範疇にある、適正と見なした物だけをタカシは着ていたの
だ。
___王子様みたいなのとか、それどころか、女王様に見えちゃうヤツとか、
目立つのは避けて、着ないだけの話だったけどな。絶対、似合うのにな。
そう思いつつ、人目を嫌がるタカシが着るはずもないと、瞬一も諦めていた服
は多い。その内の一つを兄は持って来たのだ。
「これが一番、軽かったから」
そう言いながら兄がクリーム色のケープのようなコートを羽織らせてやるのを
見て、白石は目尻を下げた。
「可愛い。超可愛い。雪の女王様みたい。可憐だね、うん。気高い。すっごく
綺麗。拝みたくなるよね」
「おまえ、調子良いな。本当はあの、高校時代に流れた、ナンパしまくり疑惑
の方が合ってんじゃねぇーの?」
「失礼な。オレはまー君とは違いますぅ。完璧な清純派なんですぅ」
すっかり普段と変わらぬ様子に戻った友達同士の喧噪に構うこともなく、立ち
尽くすばかりの彼はフードに覆われて、特徴的な頭の飾りが見えなくなると、
外に出られないこともない、と思う。
「ね、足元、寒くないの?」
「土台、魂だし、な。ブーツ履くのも、変なんじゃないか? 履けないことも
ないだろうけど、あんまり重いと、負担になるし」
「そっか。それじゃあ、仕方ないね。負担になったら、かわいそうだもんね。
でも。魂って、こんなリアルにヒトの姿になれるものなんだね。ちゃんと感触
がある、って言うか、人そのものだよ、このヒト」
「特別な天使だから、なんじゃないの? ある意味、究極の魂なんだろうな。
推測に過ぎないけど」
「ふぅーん。あ。それじゃ、毛布でも掛けようか? ここんちの、借りていい
よね? オレの車のヤツ、置きっ放しで若干、臭いから」
「お好きにどうぞ。ついでに先に行って、ヒーター、入れてやんなよ。暖まる
まで結構、時間が掛かるんだろ、おまえの車」
「ああ、やたらでかいからね。そうする」
パタパタと駆け出す白石を見送り、兄は傍らに立った魂を見た。
「心配しなくてもいい。もう寒い思い、しなくてもいいんだ。温かいところに
寄り掛かって、のんびりしていな」
「まー君。何か言った?」
毛布を抱え、駆け戻って来た白石に兄は苦笑いを返す。
「中途半端な地獄耳だな、おまえ。白豚は体温が高いから、暖房要らずだって
言ったのさ。ブゥーにくっついていれば、越冬出来るぞって」
「ひっどぉーい。ふんだ。いいよ、いいよ。白豚で。何たって、オレ、可愛い
白豚さんだから。ねっ?」
同意を求められても、魂の怪訝そうな様子は変わらない。
「そう、そう。名前、考えないとね。オレ、人間だから、あなたの名前、正確
に発音出来ないらしいからね。何か、考えとかないと不便だよね。綺麗なのが
いいよね。御顔に似合う綺麗なの。例えば、朝焼けくらいの」
ふと、白石は口を噤み、思い当たったように兄を見やった。
「何だよ?」
「まー君、さっき、朝焼けがどうとかって言わなかった? オレ、言ってない
よ、そんなこと。言おうとはしていたけど」
「そうなんだ。じゃ、きっとこれのせいだ」
兄が白石の前に差し出した右手。掌、中央には赤く十字の傷がある。
「見たい?」
「うん、見たい。何だか知らないけど、すっごく見たい。オレ、とりあえず、
何でも見たいクチだから」
「面白い奴」
兄がクスリ、と笑い、真顔になった次の瞬間。その十字がピシリ、とばかりに
裂け、大して厚くもない掌から眼球が一つ、出て来た。紫色の瞳。確か、あの
冥界の蓋で赤い魚の顔に彼のパーツの一つとして納まっていたそれが今、兄の
手中にあった。
「うわぁ。でも、痛くないの? ばっくり割れているじゃん?」
白石の率直な質問に兄も気軽に応じる。
「平気。異物じゃないから。まぁ、なじんでもいないけどな」
「まー君ってさ、もしかして今、悪魔とか、魔物の親戚みたいなものなの?」
「さぁ。違うんじゃないの? これ以外は普通に人間だから。飛べるわけじゃ
ないし、土に潜れるわけでもないし、毒ガス、吐くわけでもないし」
「じゃあ、何とかバスターズみたいなのに狙われたりとか、しないよね?」
「ブゥー。時々、おまえのメルヘンな発想が羨ましくなる時があるよ」
「えーっ、何でぇ?」
「いいから、とっとと行きな。実は待ちくたびれているようだぞ、おまえの雪
の女王様」
「ええっ、そうなの? ごめんね。気付いてあげられなくて。すぐヒーター、
入れて来るからね」
「わざわざ戻って来なくていいよ。おまえが車に乗りさえすればそれでいい。
おまえのいる所までこの雪の女王様は瞬間移動出来るんだから」
「すっげぇ。テレポーテーション? 超カッコイイ! さすがは雪の女王様だ
ね。じゃ、すぐ支度するからね」
チラ、と一度、姉を見やり、次いで魂に笑い掛けてやって、白石はバタバタと
駆け出して行く。
「たぶん、全然、違うものだと思うけどな」
確カニ。
第一、さすがに雪の女王は実在しないだろう。
「さて」
兄はゆるりと歩き出した。
「お兄ちゃん? どこ行くの?」
「氷、取るのにおまえに一々、断る必要はないだろ?」
「タカシは?」
「泣き疲れたらしい。ようやく眠ってくれたんで、オレも降りて来た。ああ。
まさか、おまえは飲まない、よな?」
「飲めへんわ、お酒なんか。未成年もいいところやん、高校生やで?」
「そりゃそうだ」
慣れた手つきで自分の酒の支度をする様子を眺め、瞬一は恐る恐る口を開く。
「あの、さっきの目玉は?」
「しまったよ」

 

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