強く、それは違うと、はね返すだけの言葉が見当たらない。言われる通り。
自分は密かに願っている。タカシにはずっと変わらず、この家にいて欲しい。
このまま、ずっとここに留まってくれたらいい。そう願う気持ちがあることは
否めない。
ダケド。
___オレの一方的な気持ちなんか、押し付けちゃいけない。タカシの意思を
最優先してあげなきゃいけないんだ。
ダカラ。
もし、タカシが天界へ帰りたいと言うのなら、コウ同様、その意思に副うよう
に努力してやらなければならないはずだ。
___そうだよ。オレの勝手で行かないでって、泣きつくわけにはいかないん
だ。
ふと、視線を感じ、顔を上げる。すると、俄かに視線がかち合い、その瞬間、
とっくに全て、兄には見透かされているのだと気付く。本人さえ、ないつもり
でいるものをこの男は捉え、それを見据えているのだ。
オレノ、本心ニ。
「わかっているんだろう? おまえは綺麗事を並べて、自分の、本当の気持ち
をごまかそうと躍起になっているだけだ。どうせ、腹の中にあるものはたった
一つ、それだけじゃないか? その望み一つが叶えられればいいくせになぜ、
そうやって気付かないふりまでするんだ? 気付かないふりを続ければ、ない
ことになるとでも思っているのか?」
やはり、兄は瞬一の本心に気付いている。それなら今更、隠し立てする必要も
ないのだろう。
___元々、隠さな、あかんことでもないし。
「だったら、言うけど。オレかて、タカシにはずっと、ずっとここに、オレの
傍にいて欲しい。タカシとお別れなんか、しとうないよ。でも。でも、もし、
お兄ちゃんがタカシを何か、悪いことに利用するつもりなんやったら。オレは
そんなこと、絶対に許すわけにはいかんのや」
「おいおい。オレのせいにする気かよ。第一、おまえはタカシをあんな世界に
帰して、それであいつが幸せになれるとでも思っているのか?」
痛いところを突かれ、口ごもる。
「そりゃあ。厳しい罰が待っとるってことは聞いとるよ。でも」
「でも? 帰ってしまえば、その後のことはもう知らない、あいつがどんな目
に遇おうが、痛かろうが、苦しかろうが、そんなことは知らない、と?」
「そ、そんなこと、あるわけ、ないやろ? オレかて、本当は」
「へぇー。あいつの行く末がわかっているんだ? 悲惨な末路を知っていて、
それなのに、天界へ返そうと企む理由は何だろう? 是非、お聞きしたいね、
瞬一君」
茶化した口調で兄はしなやかに、そして鋭く踏み込んで来た。
「理由?」
「そう、理由だよ。おまえがあいつを想い、あいつの身を案じるのなら。例え
本人が泣いて帰りたいと喚いたって、すっぱり拒むのが正解ってものじゃない
のか? そうだろう? 帰れば、あいつにとって、天界は正真正銘の生き地獄
になる。人間のおまえなんぞにはわからない苦痛の連続なんだからな。果樹園
の天使に耐えられるはずもない。そう易々と死なせてもくれないだろうがね。
実際、人間界にある苦痛なんて、魔界や天界のそれに比べれば、じゃれ合うが
程度、ほんの戯れ。単なる暇潰しに過ぎない。だからこそ、あの堕天使はいつ
までもそこら辺を転生し続けていたんだろう? 上級天使として生まれた者が
下級天使として、新たに務め上げる屈辱に比べれば、火炙りくらい、どうって
こともない話だからな」
すっぱりと言い捨てられた内容は恐らく、全て当たっているのだろう。確かに
佐原はそんなことを言っていた。厳しい階級社会の中、支配階級を支える柱の
一人として生きた彼にとっては肉体的な苦痛には耐えられても、精神的な苦痛
は避けたいものだったらしい。さすがに元、上級魔物の兄には上級天使の心理
も推察出来るようだ。
「それに比べりゃ、人間界なんて、ノーテンキな極楽だよ」
「そ、そんなに辛いんや?」
「天使なんて、陰気でしつこい、頭でっかちのサディスト揃いだからな。オレ
の親族の方がよほど可愛いくらいだ。陽気で忘れっぽい、頭の足りない、ただ
の正直者だからな。おかげでちっとも話は噛み合わなかったが」
何か、思い出すことでもあったのか、兄は眉を寄せ、幾分、不満そうな表情を
浮かべた。きっと近親者とは話が合わなかったのだろう。
アア。
「それで、うら寂しい、天界と魔界の境目みたいな所におったんやね?」
幼いタカシと当時の兄、魔物が出会った場所。兄はふと、考えるような表情を
見せた。
「まぁ、そうだな。一理あるかもな。阿呆の相手は疲れるんでな。時々、退避
していたことに間違いはない。それに。手頃な果樹園の天使も欲しかったし、
な」
「欲しかったって。そんな所におったかて、天使が、ましてや果樹園の天使が
来るとは限らへんやろ? 辺鄙な所なんやろうし」
兄はニヤリ、と笑って見せた。
「何?」
「来るとしたら、果樹園の天使だけだとそう、オレは踏んでいたよ」
「何で?」
「だって、『青い花が歌う』と聞いて、そそられるのはお気楽で、世間知らず
な暇人で、その上、寂しくて仕方がない、果樹園の天使ぐらいのものだって、
知っていたからな。地上で出会った、“哀れな天使”でリサーチ済みだった」
「それって、、、? それじゃ、タカシが聞いた噂話って、歌を歌う青い花が
あるって話は」
「そう。オレが流した噂、デマだよ」
「何でそんなこと?」
「簡単なこと。果樹園のある、天界の奥深くまで潜入するリスクに比べれば、
噂を流して、じっと待つ方が楽で、しかも確実だった。何せ、こっちには長い
長い、たまに嫌にもなるような長い寿命があって、加えて、果樹園の天使って
奴の特性も心得ていたんだからな」
「そんなの、汚い。ずるいやん?」
怒りに任せ、思わず呟いた、震える声を兄は遮ることもしなかった。
「それじゃあ、あんたはやっぱり、タカシを騙したんや。最初から利用しよう
と待ち構えとって。それで」
「そう採っても構わない。おまえなんぞに申し開きをする必要もないからな。
だが、おまえだって、おまえの勝手であいつを地獄の底へ突き落とそうとして
いるんだ。どっちもどっちなんじゃないのか?」
思い掛けない言われように、瞬一は眉を吊り上げた。
「何やって? オレが? オレがタカシを? 地獄に突き落とす?」
「そうだ。天界へ帰すとは、そういうことだよ、瞬一」
「そんな。オレかて、好きでそんなこと、するんやないわ。タカシにはここに
おって欲しい。安気に過して欲しい。そやけど、お兄ちゃんが」
「オレが何だって言うんだ?」
「お兄ちゃんがタカシの力を何か、悪いことに使うたら、そんなことになった
ら、タカシが苦しむ。だから、それだけはさせまいと」
「心を鬼にして、それで地獄に突き落とすってわけだ?」
「違う。大体、お兄ちゃんがそんなことはせーへんって、たった一言、言って
くれたら、約束してくれたら、それで済む話や。それやったら、オレかて」
「話をすり替えるなよ。おまえはいつから正義の味方になったんだ? 世界の
未来なんて、心配しちゃいないくせに」
「何やねん、それ?」
「おまえが案じているのは地球の未来じゃないし、人間界の消滅を回避したい
わけでもない。おまえはただ、タカシがオレの物だと見せつけられるのが嫌な
だけ。だから、タカシそのものをオレからも遠ざけようとしているだけだ」
「! そんなこと」
「オレに勝つために頑張って来た人生が無駄になるのが怖いのか、それとも、
オレからはタカシを取り返せないって思い知らされるのが怖いのか、興味深い
ところだね、瞬一」
「オレは別に。そんなこと」
「それじゃ、自覚はしていなかったんだ? ま、そんなヤキモチのために地獄
に突き落とされたんじゃ、あいつが不憫だよ」
「オレは」
「おまえは黙っていればいい。オレの邪魔をしなければ、そこに立っていても
構わない。オレは当分、人間として生きる。どの道、魔力を完全に自分の物に
するには時間がかかるし、な」
「意味がわからへんけど。でも、その間に天界に攻め込まれたりとか、するん
やないの?」
「ふぅーん。首尾良く、オレを仕留めて欲しいんだ?」
「そんなこと、言うてへんやろ?」
「血相変えて怒る方がよほど、肯定しているように見えるものだよ、瞬一」
「オレは」
「まぁ、いい。天界は当分、そ知らぬふりを続ける気だろう。理屈を作って、
人間のオレを殺すのは簡単だが、オレを殺せば、ドアが開く」
「ドア?」
「これ」
兄は自分の右手をかざして見せた。
「今はこの右手だけだが、オレが死ねば、この身体全てが一気に魔力を持つ。
オレと言うコントロール出来る“頭”が消滅すれば、魔力だけが残るってわけ
だ。制御出来る者などいない状態でな。そうなれば、この身体をドア代わりに
してやって来るんだよ、奴が」
「奴?」
「兄」
「お兄ちゃんの、お兄さんって」
「そう。魔界の王だ。オレ達兄弟は競合を避けた。魔界なんぞを奪い合うのは
つまらない愚行だからな。オレはこっちに、向こうはあっちに残った。将来、
どちらの世界でも上手くやれるようにな」

 

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