「知っているよ、そんなこと」
兄は極めて、すげない。
「ちゃんと足があるのは見て、知っている。確かにあいつは未だ、御存命中だ
よ。だが、それが一体、何だって言うんだ?」
「そ、そんな乱暴な。レオ君は生きとるのに。勝手に話を進めんといて」
「おかしなことを言う。それを言うなら、つんちゃんだって、ちゃんと生きて
いるじゃないか? 正義漢ぶって不服言うんなら、つんちゃんの時もきっちり
同じことを言ってやれよ。さっきはそんなこと、一言も言わなかったくせに。
今更、何だって言うんだ?」
「つんちゃん?」
そこの。その一言きりの手掛かりと兄が見やった方角を頼りにしばし、考えて
みる。兄が一瞥した先にある物。それはソファーの上に横たえられた身体だ。
毛布に包まれ、詳細はわからないが、とても健康とは言い難い状態であること
に違いはない。
「ブゥーさんの、、、」
白石の姉。
「椿って、言うんだ。ブゥーが子供だった頃、上手く椿ちゃんと呼べなくって
な。それでつんちゃん。よくある話だよ」
「そうやね。でも、つんちゃんって人は、あの。何て言うか」
瞬一が口ごもると、兄はますます、いらついた表情を見せた。もしかしたら。
兄にはずっと、幼馴染の椿に対して、それ相応の親しみや憐憫の情があったの
かも知れない。ふと、そう気付く。
「こー見えたって、ちゃんと生きているよ。失礼だな、おまえ」
兄の言う通りなのかも知れない。だが、例え、余命僅かとは言え、自らの意思
で立って歩き、自分の意見を口に出来るレオと椿とでは、まるで状況が異なる
のではないか? 実際、彼女、椿は自発呼吸すらままならない身なのだ。
イヤ。
それどころか、結果的に放置されていることでもう、椿の息は絶えているやも
知れない。病室から連れ出され、既に結構な時間が経過しているはずだ。
___未だ、生きとるんやろうか? もし、このままやったら。ブゥーさん、
逮捕されるかも知れへん。そうなったら、殺人罪にもなりかねへんやん。オレ
達かて、何とかほう助で罪になるかも知れんのに。
「おまえが一々、気に病むことじゃない。天使の力を借りてつんちゃんは回復
出来る。つまり、人生をやり直せるんだ。つんちゃん自身の分も両親の分も、
弟の分もな。だったら、それでいいじゃないか? あの家族がどれだけつらい
思いをして来たか、そこのところを考慮してやればいい話だろ? 恨みつらみ
一切、言わないで、肩寄せ合って必死で頑張って来たんだ。そんな一家が奇蹟
の大逆転にありつけたって、罰は当たらないはずだろう?」
「そりゃあ、苦労したっていうのはオレかて、何となくだけど、わかるけど。
でも。もし、あのヒトの魂が身体の中に入ってしもうたらつんちゃんの、本人
の魂はどうなるん? 消えてしまうん? それとも一緒になってしまうん?」
「混ざりゃしないよ。何も変わらない。別にドレッシング作るわけじゃなし、
わざわざ混ぜる必要はない。それに。土台、あいつは根の優しい果樹園の天使
だからな。自分を休ませてくれる、親切な人間の身体を乗っ取ろうだなんて、
思いもしないだろう。つんちゃんがやがて、婆さんになって、寿命で死ぬ頃、
あいつもやっと、それじゃ、そろそろ目覚めようかってそんな気になる。それ
くらいのもんなんじゃないのか? 天使もなかなか、悠長な生き物だからな。
時間的にちょうど住み分け出来て、結構じゃないか?」
「それじゃ、つんちゃんの身体に魂を入れても、害はないんやね?」
瞬一が安堵しながら、そう呟くと兄はピクリ、と眉を動かした。
「その言いぐさはオレが聞いても、ムカつくんだけど?」
「ムカつく、って? 何で?」
「おまえの言い方がしゃくに障るんだよ。間違っても、それ、仲良しの天使共
には言うなよ」
「何で? 訳がわからへんのやけど?」
「ちょっと考えれば、わかるだろう。果樹園の天使の魂をお迎え出来るのに、
何で害はないのかと問われにゃならないのかって、話になるだろうが。天使的
にはありがたく、感謝感激してひれ伏して、お迎えされるのが当たり前。それ
が奴らの常識だよ。それをおまえの言いようだとまず、間違いなく奴ら、激怒
するぞ。寄生虫呼ばわりするのか、ってな。どこぞで闇に葬られたくなかった
ら、名誉なことだ、ありがたいと言え」
「わかった。でも、あの」
「さっきからオレは急いでいるんだけどな」
二階へ続く階段へ足を掛け、兄はじれったそうに食い下がる瞬一を見下ろして
いる。ほんの少し前なら。
___ビビって、とっくに退散しとるんやろうな。
そんなことを考えながら、兄の意外に黒い瞳をじっと見上げた。
___おっかないのは山々やけど。それでも。
ただ一人、普通の人間として、自分がこの場に居合わせている、この事実には
きっと、それなりの意味合いがあるはずだ。地上に数多いる人間の中で天使と
出会う者など、ごく少数派だ。その上、こうして転生した元魔物と居合わせて
いるのだ。数字が並ぶような、単なる偶然とは決して、言い難い。
「何だよ?」
「あの」
 傷付けられ、疲れ果てて、変わり果ててしまったとは言え、果樹園の天使で
ある、あのヒトの魂は良いとしても。もし、魔物の眷属、魚や小舟の魂がレオ
の体内に納められてしまったなら。彼らもまた、元々、悠長な果樹園の天使の
ように身体の持ち主の正当な寿命が尽きるまで、ゆっくりと眠っていてくれる
ものだろうか? 
イイヤ。
___そんなこと、するはず、あらへん。
大体、あの果樹園の天使は深くえぐられ、痛めつけられた心の傷を癒すべく、
しばらく眠るのだ。心に傷を負っているわけでも何でもない魚と小舟は主人と
再会を果たすことが出来れば、当然、また以前と同じように主人のために尽く
そうと心掛けるに違いなかった。
___ぐーすか、ずっと眠っとってくれるはず、ないやん? お魚さんは良い
ヒトっぽかったけど。でも。
「何を一人で意気込んでいるのか、さっぱり意味がわからないんだが」
「言い辛い話なんやけど。でもな。いくら生い先が短いゆーてもな。レオ君の
人生なんやで? お兄ちゃんの勝手で、承諾もなしに他のヒトの魂、身体の中
に入れるわけにはいかんやろ? そんなことしたら、あかんやん?」
「別に完全に乗っ取るわけじゃない。オレ達だって、人間に比べれば、ずっと
のんびりしている。それに魚の魂が入れば、あいつ、レオは死なずに済むんだ
ぜ。一日の内の何時間か、魚に身体を貸してくれさえすれば、な」
「でも。そんなん、気軽に受け入れられるはずないし、了解なしには」
「もっと生きたい。やり直したい。勉強してみたいと願う、余命一年足らずの
若造に生きるチャンスをやれるのに、何でそう否定されなきゃならないのか、
そっちの方がわからない」
「そうなんやけど」
「ただ今、戻りました」
 レオの帰宅に気付き、瞬一は慌てて、口を噤む。こわばる顔を見せまいと、
つい、兄の側へ身を寄せる形となったが、その兄の方は一向に変化らしい変化
は見せなかった。
「お帰り。サンキュー。助かったよ。ダイニングの方に置いといて。床の上で
いい」
「はい」
「オレはタカシに話があるんだ。それが済んだら、おまえにも言っておきたい
ことがある。もうしばらく待っていてくれないか」
「はい。わかりました」
顔を見なくとも、わかる。レオの弾んだ声は楽しげだ。
「じゃ」
スタスタと階段を上がり始めた兄の背に遅れまいと、付いて行く。レオの傍に
取り残されることは回避したかった。それに兄が今、何を考え、企んでいるの
か、わからない以上、迂闊に兄とタカシを二人きりにするわけにはいかないの
だ。
ダッテ。
___いざとなったら、オレがタカシを守らな、あかんのやから。タカシ本人
に、助けてって頼まれとるんやから。
兄がどんなに強い、摩訶不思議な生命体であっても、怖さを乗り越えなくては
ならない。
オレシカ、オランノヤ。
そう自分に言い聞かせ、自分の部屋へ入ろうとドアノブに手を伸ばす兄へ声を
掛けた。どうしても問い質さなくてはならない。見物人ではいられないのだ。
「お兄ちゃん、何をしようとしとるん?」
「簡単なこと。タカシを天界へ帰さずに済むように、ちょっとしたおまじない
を掛けておこうと思ってな。それなら、おまえも安心だろ? おまえがやがて
爺さんになって、あの世とやらに召される時も、傍にタカシがいてくれたら、
嬉しいんだろ?」
うん、そやねと頷きそうになり、瞬一はどうにかして踏み止まった。兄が何を
意図して、そう言っているのか、わからない。当然、むやみに賛同することも
許されなかった。
 兄が開けたドアの向こう側。タカシは部屋の中央に立っていたが、なぜだか
その顔は真っ青で、見たこともないほどこわばっていた。

 

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